明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真について何か書く時、どうしても、日本に恨みを抱き復讐するために帰って来た上田馬之助的ニュアンスが出てしまうが、まことを写すという意味の写真という言葉に抗い続けた行きがかり上、仕方がない。しかし今は、これはどうやって制作したのか、と一切質問を受けることない手法に至ったのは、個人的には一つの成果だと考えている。 モチーフを実在の作家から道釈画的な物になり、仙人まで手掛けられたのは陰影のない〝反写真的リアリズム”だからこそである。 作家の時は、残された肖像写真とは、あえて違う角度から撮る事が多かった。絵画にないメリットを生かすためだが、今回の手法でも、被写体が立体の利点を生かしてみようと考えている。蘭渓道隆師は国宝の肖像画から立体にしたが、七百数十年間、誰も正面像を見たことがないだろう。それも建長寺のホームページに載る重文の木像とは顔が違う所に意義もある。そう思うと蘭渓道隆師は様々な意味で、私が今まで得た物を全て用いて制作すべき、現段階で最突端の作品になる予定である。



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