明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



午前中母、葛飾区のホームから江東区へ転院。コロナの後、ここ2年で急速にボンヤリして、感情の起伏が乏しくなった。職員を全員、一度はギョッとさせた「どちら様ですか?」という得意のボケたギャグもシャレにならなくなった。移動中、車内で出来るだけ話かけてみる。 出がけのニュースで猿之助が両親にビニール袋を被せたと聞き〝こりゃダメだ”と思ったが、母の生家は歌舞伎座から近く、聖路加病院の極近所で、米軍が爆撃しないとビラを撒き、町内に一発落ちただけであった。隣は風呂屋で、猿之助の誰かが通って来た、と昔聞いたことがあるな?と確かめてみると「お妾さんよ。」つまりスーパー歌舞伎の猿之助と今回亡くなった段四郎の父親の二代目猿之助だろう。アメリカでディアギレフのロシアバレエに影響を受けてなかなか実験的なことをやった人で、妾宅があったのだろう。 母は今ではボンヤリしてしまったが、父が亡くなった後も一人で仕事をしていたので、人付き合いは好きで、新しい環境も楽しくやってくれるだろう。大分痩せたが、入れ歯が合わないせいもあるかと、その点だけをお願いして来た。今度は我が家からも近い。食べ物も持って来て良いとのことなので、手製の糠漬けを毎回届けることにしよう。



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