明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

栄西  


礼拝物不敬罪だ、と武装集団に銃口を向けられる夢まで見て制作した二人の禅師、頭部が仕上げを残して完成した。やっては行けない事?は、しばしば快楽を呼ぶ、というのは、ジャンルは問わないようである。この頭部の出来が、結果、さらなる快楽また希望に繋がることになる。 臨済禅を茶と共に日本に伝えた栄西は、京都では、比叡山に阻まれ鎌倉に向かう。将軍源実朝、北条政子の帰依を受け、千二百年に寿福寺を創建するが、禅僧としてより密教憎として扱われていたようで、密教を兼ねた禅宗ということで、梅原猛のいうことが、なんとなく判って来た。なので最初の禅寺は千二百五三年創建の鎌倉五山の第一位、大本山『建長寺』が初の禅寺、禅の源流ということになっている。 栄西像は残っているが、臨済宗の特徴であるリアルな造形ではない。その辺りにも何か理由があるのか?そもそも頭が、型にはめて作った四角いスイカ、あるいはボリス・カーロフのフランケンシュタインぐらい平らで、あの頭ではリアルにしようにも妙な物にしかならないだろう。私は作ろうと考えた時、どうするつもりだったのか。実在した人物に対しては、歴史的事実、あるいはリアルさ、などと常に葛藤している私は結局は作らずに終わったような気もする。



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