明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、込めるという意味では写真は絵画には及ばないと思われ、大正時代のビクトリアリズム作家は、絵画的手法でそれを乗り越えようとした、と書いたが、自分であらかじめ込めた作品を被写体にすれば、自動的に自分を込めた写真作品になるだろう、というのが、当時の私の試みだった。それに何より、大正時代より、自分で制作した人物像をモチーフにしたピクトリアリズム作家はいなかったし。しかしながら、当時はそんな思いが伝わることはなく、まさに一人相撲の様相であった。ニジンスキーをモチーフにしたり快楽は充分味わえたが。 オイルプリント初披露の頃、来廊者の目に明かりが灯らず、これは一体何ですか?に一日中同じことを答えたていたのが思い出される。そこで技法公開のため、2000年にホームページを立ち上げたのだが、その前年に購入したパソコンで、すでにフォトショップを導入し、初披露の時には、合成や、印刷フィルムによるデジタルネガによる作品をすでに試みていた。最後にそれまでの作品をオイル化して終わるものと考えていたが、その先があり、それに伴い、扱うモチーフに変化をもたらせた



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