頭部さえ出来て仕舞えば完成は目に見えている。禅師とモンゴル兵の二つの角度など組み合わせを見て構図を決める。背景は首を見せるためのものでしかない。宗の寺のシーンだが、陰影がない手法は何も無い無地が可能である。しかし、二人作っても、あっちからこっちから撮ることはなく、完成するのは一カットだけである。なので写る所だけで済ませたいのはやまやまだが、展示出来るように、全て作る予定でいる。ただ脇役のモンゴル兵は、どうするかはまだ判らない。しかしここまでやって、写真の主役は被写体である。と、大きな顔が出来る。かと言って、撮らせていただいている、という気遣いは無用であるし、私の作品になんてことしゃがる。なんて言われることもない。実在した作家のように、遺族のことに気を使うこともない、とは言いながら、武装集団に「礼拝物不敬罪だ!」と銃口を向けられる夢ぐらいは観ることになったけれど。まぁ所詮〝夜の夢”である、