明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



頭部さえ出来て仕舞えば完成は目に見えている。禅師とモンゴル兵の二つの角度など組み合わせを見て構図を決める。背景は首を見せるためのものでしかない。宗の寺のシーンだが、陰影がない手法は何も無い無地が可能である。しかし、二人作っても、あっちからこっちから撮ることはなく、完成するのは一カットだけである。なので写る所だけで済ませたいのはやまやまだが、展示出来るように、全て作る予定でいる。ただ脇役のモンゴル兵は、どうするかはまだ判らない。しかしここまでやって、写真の主役は被写体である。と、大きな顔が出来る。かと言って、撮らせていただいている、という気遣いは無用であるし、私の作品になんてことしゃがる。なんて言われることもない。実在した作家のように、遺族のことに気を使うこともない、とは言いながら、武装集団に「礼拝物不敬罪だ!」と銃口を向けられる夢ぐらいは観ることになったけれど。まぁ所詮〝夜の夢”である、



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連休を残し、思ったよりスムースに進行し、禅師二人と元寇一人の頭部がほぼ完成した。展示が出来るか判らないのに、相変わらず行き当たりばったりだが、もとより需要など考えるような私ではない。なのでがっかりすることもない。経験上自らを人間ダウジングロッドと化し、考えるな感じろの方が結果が良いことを知っている。そもそも三島由紀夫が死んでいる様子だけの個展を二度もやってしまうと、もう余程の歯応えがないと耐えられない。 昔、四キロ四方誰も住んでいない北関東の廃村で工芸学校の先輩二人と焼物をやっていたことがあり、その先輩と久しぶりに話した。ある時、先輩二人が粘土を仕入れに行くと、出かけたきり、一週間帰って来なかった事がある。言われたことは全てやり、犬一匹と、何もやる事がない。食糧も尽きるとなると人間バカバカしいことを考えるものである。全裸で過ごしながら、そういえば生まれて以来、肛門に太陽の陽が当たった事があっただろうか? 制作中の禅師が、日本に禅が根付いていないことを知り、七百数十年前に、宗の時代の中国から来日したが、亡くなったのが、今の私の年齢だったことに本日気付いた。



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