明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



幼い頃から人間がもっとも興味深く、長年作っていると、陰影のない平面的な東洋画の頬骨や額の凹凸が見える。朝ドラの牧野某ではないが、描けるのは人間だけだが。長く写真を参考に人物を制作して来たが、対象の人物の精神性を記録し、弟子、後世に伝えるという宗教的な目的なので当然ともいえるが、込めるという意味では、写真が絵画を超えることは出来ない、とつくづく感じている。かつてのピクトリアリズム、絵画主義写真を手掛けていた大正時代のアマチュア作家が、何とかそこを乗り越えようとして奮闘したのだ、と改めて。しかし結局カメラという機械により現実を写し取る、即物主義の台頭により廃れて行ったが、絵画と写真は役割が違う、と歴史上、はっきり結果が出たということであろう。 ロシア、ウクライナのAIによるフェイク画像により株価に影響が出ているという。まことを写すという意味の写真が、吐いた唾を飲まされているかのような話である。

 



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