明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



某禅師が宋代の中国で描かせ、来日時に携えて来た説のある国宝の肖像画だが、それに対し、寺の公式ホームページに載っている重文の木像は、亡くなった前後の作だといわれている。肖像画の方が、より迫真的で実像を伝えている、と判断したが、頭頂部、目鼻耳口の形、違いがあるが、X線写真によると、下に、より肖像画に近い形が残されているようで、木像の制作者も肖像画を参考にした可能性があるかもしれない。後世の修復者がより武張った像にしてしまった。仕事した爪跡を残したい、と余計なことをする輩はいつの世にもいるようである。 しかし、以後数百年の間に、私のように肖像画の立体化の試みがなされなかったとすれば、それはひとえに立体である木像が在ったからに違いない。系列宗派の寺や、信徒が禅師の像を作らせた事は当然あったろうが、その場合も木像を元に作られたはずである。彼らはX線写真を見ていないし。 数年前の引っ越し前なら、禅師の首をポケットに、飲みに行ったところだが。テーブルに味の素が置いてある定食屋で一人祝杯を上げた。ゴールデンウィーク後半を前に禅師二人の頭部が完成。



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