明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、死の床で一遍上人を作れば良かったと後悔するのはまっぴら、と書いたのは、だから作るのは止めた、という意味ではなく、むしろ逆である。早速一遍上人の資料を注文した。ただし今は熟読は止めろと、肝に銘じつつ。そう簡単に収まるのであれば、妙な施設で検査させたり母は苦労しなかったろう。中川家の漫才で、弟の礼二が小学2年の時「日曜になったら、朝から晩まで裏のドア開けて出発進行出発進行」頭がおかしいと大学病院に連れて行かれた。「全部ホンマの話やないか!」に笑った。私が連れて行かれたのは病院ではなかったと思うけれど。 40有余年、中年〜老人の男専門に作って来た私とすれば、異様な表情、ギクシャクしたポーズの老人に、これは私の出番だ、と思うのは当然であり、作る言い訳が見つからなかった、という、単に渡世上の事情にすぎない。私を支配しているのはへそ下三寸、丹田辺りのもう一人の私である。こいつが出発進行出発進行とやかましい。ただ、渡世上の事情や空気が読めることについては、せめてもの、母の教育的成果であろう。

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昨日、死の床で一遍上人を作れば良かったと後悔するのはまっぴら、と書いたのは、だから作るのは止めた、という意味ではなく、むしろ逆である。早速一遍上人の資料を注文した。ただし今は熟読は止めろと、肝に銘じつつ。そう簡単に収まるのであれば、妙な施設で検査させたり母は苦労しなかったろう。中川家の漫才で、弟の礼二が小学2年の時「日曜になったら、朝から晩まで裏のドア開けて出発進行出発進行」頭がおかしいと大学病院に連れて行かれた。「全部ホンマの話やないか!」に笑った。私が連れて行かれたのは病院ではなかったと思うけれど。 40有余年、中年〜老人の男専門に作って来た私とすれば、異様な表情、ギクシャクしたポーズの老人に、これは私の出番だ、と思うのは当然であり、作る言い訳が見つからなかった、という、単に渡世上の事情にすぎない。私を支配しているのはへそ下三寸、丹田辺りのもう一人の私である。こいつが出発進行出発進行とやかましい。ただ、渡世上の事情や空気が読めることについては、せめてもの、母の教育的成果であろう。

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