葛飾北斎の晩年の肉筆画がどうも苦手である。テレビドラマのセリフではあるが、西洋画を見た北斎は「見たまんま描いていやがる。」そういっていながら、次第に西洋の陰影法を取り入れていく。北斎が何かと取り上げられていた頃だったが、私が写真から陰影を排除し始めた頃だったので、まるで北斎とすれ違うように、反対方向に分かれた気がしていたが、私には北斎が余計なことを始めて、結局中途半端に終わったように思え、陰影に関しては、娘のお栄の方が、よほど消化しているように見える。 私がかつて一目惚れし、人形制作を放って習得に夢中になった野島康三の、顔料を使用するピグメント写真法は、時代とともに、絵画を模倣する古臭い表現扱いされていき、野島も銀塩写真に転向するが、私にはまったく面白く感じられず、和装を洋装に、ダンスまで始め、新たな時代について行こうとする姿が残念であった。 両者ともに、芸術家の上昇志向というものが、そうさせたのかもしれないが、私はそんな物は持ち合わせておらず、あまり大きな声でいうべきではないが、あくまで、より私に快楽をもたらす物だけを追求して行く所存である。
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