明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先月末、40年来の知人宅で、初個展前後の、架空のブルースマンの作品をアルバムにした物を見せられた。そこにはそれ以外の作品も写っていた。1つ140円で、団地のベランダにぶら下がっている物干しを溶接しながら作っていた。いずれ160円になる、と聞いていたが、刑務所でも同じ物を作っていたからかなわず。そうこうして、溜まって来たので初個展となった。当時、朝ドラで『おしん』をやっていて、その直前のニュースで個展情報が流れたものだから、初個展の割に人が来て、翌年の2回目も決まった。ところがプレッシャーになり、一度はキャンセルを申し出にギャラリーに向かったほどで、これは酒など飲んでいられない、と約一年禁酒をした。この頃一番好きだった噺家が志ん生の息子、志ん朝の兄、金原亭馬生で、どんな俳優がドラマの中で飲酒をしようと平気なのに、馬生がだんだん酔っていく様は耐え難く、顔を見るとチャンネル変えていた。遊びに来た友人だけに「どう?いいだろ?」なんて生きて行けたらどれだけ良いか、と思ったものである。 今は実在した人物を作っている。やりたいようにやるなら架空の人物を作れば良い。一遍上人は鎌倉に入ることはなかったようだが、蘭渓道隆が鎌倉から出て、一遍上人に会いに行った説を家が時宗だという方から聞いたが、確証のある話ではないようである。実在した人物を作る場合、七百年前の人物だからといっても、このハードルを意識してこそ、実在した人物である。ラインナップの中には、よほど縁がなければ南無阿弥陀を唱え踊る老人は並べられない、と断念。かといって、死の床で一遍上人を作るんだった、と後悔に苦しむなど真平である。

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