明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



大覚禅師こと蘭渓道隆の頭部、最終仕上げ。今まで肖像画しか残っていない人物を作ったのは松尾芭蕉と葛飾北斎、臨済義玄。松尾芭蕉は門弟の描いた作品、臨済義玄は中国で創作され、伝来した肖像画、北斎は自画像を元にした。いずれも線描で描かれており、立体感など、こちらの解釈で作れることもあり楽だったが、国宝でもある蘭渓道隆の肖像画は、迫真の描写で描かれている。とはいえ陰影はないから立体感を想像して作らなければならない。場合によって、鼻毛や耳毛まで描かれる頂相画は、その存在理由、役割を考えると、単なる肖像画とは違う。それを実感しながらの制作で、時間もかかった。 写真を始めた当初から、まことを写す、という写真というものに、抗い続けて来た。何故そこまで、と頭では思わないでもながったが、へそ下三寸のもう一人の私が収まらなかった。蘭渓道隆の肖像画は、法衣や手にする物など地位を表す物はあるものの、背景には何もなく、陰影(ライティング)による創意工夫の余地もない。まさに人物そのもの。 陰影を排除する手法を始めて、原点の人形制作に戻った心持ちになったが。完成直前の蘭渓道隆を前に、私の写真に対する抗いも最終局面を迎えている気がした。

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