明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



日本人が初めて影を描いたのは朝暾曳馬図(ちょうとんえいばず)」で川面に映る影を描いた英一蝶だという。 小学校低学年の頃から、子供の絵じゃない、とことあるごとに言われ、みんな出品するコンクールに、私の絵だけ出すのを忘れた、と担任にいわれたり、ロクなことがなかった話は何度か書いた。その発端が、図工の時間に遠足の絵を描く授業で、池に浮かぶボートに水面に映る影を描いたことだった。廊下に張り出された絵を見た隣のクラスの担任が、なんでここに影を描いた?といい出した。周りがマッチ棒のカカシのような絵を描いている中、子供の絵じゃない。といわれ続けることになる。そんなこともあってか、中高と美術部にも入らず読書に熱中し、制作を始めるのは、工芸学校に入ってからである。 それが今は写真から陰影を排除し、太鼓持ちでもあった英一蝶の『一休和尚酔臥図』をヒントに私なりの酔臥図を制作し、同じく一蝶の、背中の火焔を濡らさなよう傍に置いて滝に打たれる不動明王を作る気でいる。奇縁である。 最後に目出たい話をすると、名前こそ変わったが、その小学校を出た柔道百キロ級のウルフアロンがパリ五輪出場を決めたようである

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )