明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



仕上げも進み、一休宗純以外は後は完全に乾燥させ、着彩を済ませれば。と完成が見えて来た。錚々たる高僧を並べて眺めてみると、私のような、とびきりの不信心者が、と数年前の私が見たら、事情がまったく飲み込めないだろう。何しろ何年も父の墓参りもしていない。いくら出不精とはいえ、墓はたかだか新宿区である。いい訳するとすれば、私の場合、父の姿などは、3D映像のようにイメージの中でリアルに動きまわる。なのでいつかヒットした歌ではないが、ここに父は居るのに、石の下にある骨片に手を合わせに出かけなくても、というのが正直なところである。それは渡世上の主要な私の武器でもあるのだが、それがアダとなることもある。 本日は朝から頭の中で、一遍上人が南無阿弥陀佛、と踊り続け、何か作る理由がないか調べるのだが、どうしても鎌倉入り直前に、武士に阻止され叶わず、というのが真相らしい。こうなると子供の頃から抑えが効かない。母がもっとも危険視したのが、私のこういうところだが、さすがにハナを垂らした小学生ではないのだから、作りたいから作っちゃいました、という訳にはいかない。と一日苦しんだ本日の誕生日であった。

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