明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真を始めて以来、まことを写すという意味の写真に抗い続け来た。写真、西洋画になく、浮世絵、日本画にある自由さを写真に取り入れられないか、その自由を阻害しているのは陰影ではないか?と考え被写体から陰影を排除する手法を始めて10年ほどになる。最初のカットは三遊亭圓朝であった。蘭渓道隆の制作により、ゴールが近い気がしている。相変わらず表層の脳ミソは性能が悪い。何故そう思うのかは理解していないが、ヘソ下三寸に居るもう一人の私は確実にそう考えているのが判る。 一昨年の寒山拾得展の流れから、昨年、急遽ハンドルを切り、名前も知らなかった無学祖元、蘭渓道隆を制作することになり、その結果、高僧を描いた頂相絵画、頂相彫刻は、肖像画、肖像写真、人形、彫刻、私のイメージする人像表現の究極と思うようになった。幼い頃、百科事典ブームでウチに着た中井英夫が編纂していた百科事典の別巻の東洋美術で、鍵っ子だった私は、それらのリアルさに、畳に寝転がって飽きずに眺めていたのを思い出す。あそこから始まっていたのは間違いない。七百数十年前に描かれた斜め45度を向いた蘭渓道隆像に正面を向かせ、人間大に拡大して観たい。これがもっか一番の望みである。
三遊亭圓朝 鏑木清方へのオマージュ

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