明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



〝太陽一灯の一神教の世界と違って、便所にまで神様が居る日本では陰影など出ない“ 10年近く陰影を排除した手法をやっていると、かつての日本人が、何故陰影を描かなかったか、今は理解できる。袖から金の龍が顔を出す人物に、現実であるかのような陰影を与えたなら、今はむしろ、不純な行為に思える。袖から金の龍が顔を出す人物を描きたければ陰影など描くな、という話である。 96年『ジャズ・ブルース人形と写真展』 (SPACE YUI)初めてギャラリーで、人形を被写体として写真を発表した。ある編集者が、被写体が目の前にあるのに、写真は人間を撮った物だと勘違いした。現実を模倣したい訳ではないのだ。 思えばここから、まことを写す、という意味の写真という言葉に抗い続けることとなった。そして長い旅路の果てに〝まことを写さない写真手法“に至った。 私はすでに結論を出したけれど、AIの発達により写真家は、これからまことを写すという意味を問われることにるのではないか。

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