明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が死の床でアレを作れば良かった、コレを作るんだった、と後悔に苦しむのをことさら恐れた理由が、死にそうだった父が退院して来たら、スポーツ新聞広げて水戸黄門を観ていてショックを受けたのが原因だと昨日書いたが、これは間違いないだろう。年齢と共に気になって来た。私の場合、作りたい物がまったく途切れずに常にある。ということは、死の床で、作れなくなった時も、何かはある訳で、それを想像してはウンザリしていた。父はどうだったのだろう。 しかし考えてみると、ほとんど外に出ず作ってばかりいる私は、人には退屈な生き方に見えているかもしれない。頭に浮かんだイメージが形となって目の前に現れる快感がどれほどのものか、これは私にしか判らないことであろう。大谷がパスタに塩のみと聞いて「人生つまんなくね?」 といった選手がいたらしいが、わかんねえだろうなあ、と大谷は思ったろう。 父と共通の話題はプロレスだけであった。ありがちなことだが、保守的な父はジャイアント馬場を嫌い大の猪木ファンだった。これもありがちなことだが、私は好き勝手な猪木を嫌ったのだが、父はそれを知らずに死んでいった。

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