明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



1月31日のブログで〝被写体は全て揃うことになる。しばらくは余計なことを思い付かないでくれよ“と書いた。キナ臭い予感の正体は前日のブログに書いてあった。建長寺の開山、蘭渓道隆のもとを、一遍上人が訪れた逸話は互いに詠みあった詩まで残っているが事実ではないようだ。当時禅宗が盛んな鎌倉を各宗派の僧が布教を目的に集まって来たようで、一遍上人も、建長寺の目と鼻の先まで来たのは事実のようだが、おそらく弟子を引き連れた小汚い一団だったろうが、北条時宗と会った説もあるが、出入りを禁じられ、進路を変えざるを得ず。というのが真相らしい。事実がどうか定かではない、というなら作れるが、余計な解明を、と律儀なところも持ち合わせる私は残念がった。 一遍上人は、おそらく小学〜中学の頃、読みまくった、中井英夫編纂の百科事典で目にしていたであろう、腰を曲げ、異様な表情の人物が浮かぶ。いかにも私がムラッと来そうな人物である。しかし流れ上〝南無阿弥陀仏“と書かれた札を配る人物は作る訳にはいかない。某脳科学者がいう〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている“という仕組みに苦しめられている。人形の最終仕上げをしながら、どこかに作る理由がないものか?と横目で資料を漁る私であった。

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