小学4年で母にねだって買ってもらった「一休禅師」で見た横目でこちらを見る一休像は、門松は目出度くもあり目出たくもなし、の言葉と共に記憶に残った。後小松天皇の落胤として生まれ、二年後に南北朝が合一。様々な事情から寺に預けられる。一歩間違えば殺されていてもおかしくない。あの表情は、そんな出自により作られたものだろう。 小学一年で図書室と出会い、伝記の類いを読みまくった私だが、掲載される肖像が現代のイラストレーターが描いたものでなく、当時描かれた物であると説得力が増した。人間模様への興味から犯罪ドキュメント関連の本もずいぶん読んで来たが、最近めっきり興味が湧かない。その原因は、ニュースにおける犯人が皆マスクをして印象に残らないせいもあるだろう。 建長寺開山、大覚禅師こと蘭渓道隆も、その個性的な国宝の肖像画にまず興味を持った。この顔を正面から見てみたい。仕上げをしているとブラタモリで建長寺が映り、元SMAPのナレーションでランケイドウリュウと発音されるのを聴き妙な感じする。
| Trackback ( 0 )
|