写真を始めたのは遅かった。まずは月刊の写真雑誌を一年読んでみたが、私には1カットでは誰の作品か判らずじまいに終わった。結局、野島康三のピクトリアリズム作品を別にすれば、フィット感みたいなものがなく。そもそも暗室作業が向いていなかった。 十数年前、サンディエゴ写真美術館の館長に作品を観てもらう機会があったが、アメリカ人の口から〝ユニーク“が連発されるのが嬉しかった。日本人は見たことがない物を目にすると、ユニークとはいわずに、目に明りを灯らせない、ことによって表現するのを身に沁みて知っていたからである。その館長が、私の作品は拡大した方が良いといってくれたが、その時は、ただアラが出るだけではないか?と思った。何か質問は?に聞きたかったことはただ一つ、私のようなアプローチをしている人はいますか?だったが、しばらく考え、紙に書いてくれたのがシンディ・シャーマンで、どこが?と思ったが、外側にレンズを向けず自分に向けている、という意味だったのかもしれない。その後、まさかの、光と陰の芸術から陰影を排除することになり、モチーフ、手法どこを取っても誰かの作品に間違われることはないだろう。達磨大師の耳輪を付け替え、月下のインド人をイメージする。
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