明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明治3年の木版で刷られた方広寺の半僧坊は、老白人に見えると書いたが、線描ではあるが瞳に色をささず、白髪といわれた髪はウェーブがかかり、ほとんど白人である。鼻の高さは、当時は天狗の如く見えたかもしれない。テンガロンハットでも被せればサザンロックのベテランミュージシャンに見えなくもない。 蝦蟇仙人を作った時、蝦蟇仙人が、カエル顔である必要はないことに気が付いた時には、すでに出来てしまった。日本中国で星の数ほど描かれ、日本では忍者の児雷也に変じたりしたモチーフである。一方、半僧坊は、静岡の方広寺、奥山半憎坊大権現が大元で、明治時代は大人気で門前市を成したそうである。そこで中国土産として親しまれた、寒山寺の寒山拾得の拓本と同様に売られたであろう摺物の絵を立体化している。建長寺の半僧坊でも護符と共に半僧坊御姿絵として入手できる。これぞという物があるならば。それに準じた方が面白い。立体化されていなければなおさらである。

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