明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真や西洋絵画になく、浮世絵、
古典的日本画にある自由を写真に取り入れられないか、と考えたが、それで何をしようとしていたのか。具体的な用途を思い描い
ていた記憶はない。中締めといえる個展が終わり、しばらく図書館に通っては、浮世絵、日本画を眺め、その自由さを羨ましく眺めていた記憶がある。何をきっかけにそうしていたか思い出せない。 一つもしや?と思ったのが、長塚京三が北斎を、宮﨑あおいが娘のお栄をやったドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』その中で北斎が西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」といった。見たまんまが大嫌いな私は、そのセリフがよほど気に入ったか、当ブログで何度も引用した覚えがある。ひょっとしてあの北斎のセリフがきっかけじゃあるまいな?調べたら、図書館通いの一年後のドラマだった。 どうでも良いことだが〝何だか判らないけどやりたくなってしまいました“実際そうでもバカみたいである。熟慮、熟考の末、計画通りやりました。という演技プランをつい立ててしまうのであった。

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雷鳴轟く嵐の風景は、頭の中ではおおよそ制作方法は考えた。イメージとしては滝沢馬琴辺りの絵草紙のスペクタクルシーンである。雷は小学生の時描いた、キングギドラが吐く光線やメーサー砲のレーザー光線の要領で描く。 光と影の芸術から肝心の陰影を排除して、鎌倉時代の嵐の東シナ海で、袈裟をまとった天狗状の人物が、帆柱の先端に立って霊力を発揮している場面を写真作品にしようとしている。 陰影が出ないように撮影して切り抜いて貼り付けるだけなので、こんなことなら、と思わなくもないが、ここに至るために、端折って済ませることは一つもなかった。光やレンズの作用の助けが使えない分、被写体の出来が成否を決めることになり、私の原点は人形制作だったことも思い出させてくれている。禅的モチーフに至っていることが、また不思議で、このための手法とさえ思う。

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