光と影の芸術といわれる写真の最大の欠点は、無い物は撮れないことである。それがよりによって無い物を作り、さらに光と影を排除している。すっかり写真という土俵を割ってしまった感があるが、ようやく〝念写“のツールとして使い物になるものになった。こんなことならもう少し早く、といいたい所だが、流れというものには逆らえない。作家シリーズ最後となった『三島由紀夫へのオマージュ 椿説男の死』は、三島が死の数週間前まで撮らせていた『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年だったが、あくまで三島の作品内の死をモチーフにしたとはいえ、それが奇しくも出版の5ヶ月前に個展が出来たことが何よりであり、やり切った、という初めての経験でもあった。それを通過したから、ただ今、半僧坊という権現を作っている訳で、何事も一足飛びに、とは行かないようである。ちなみに本家『男の死』あまりに三島が哀れで今だに目にしていない。
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