明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



96年、初めて画廊で写真を発表した時、被写体が目の前にあるのに、人間を撮った実写だと間違った人がいた。わざわざ人形作って現実の模倣などまっぴらである。作り物でないと出来ないものを、と翌年作家シリーズに転向した。当時はアナログで、澁澤龍彦をオウム貝に乗せて空を飛ばしたり。谷崎は巨大なヌードと共演させた。仮にあの時、実写に間違われたことを良しとしたなら。人間変われるうちが華、という風船体質でなかったなら、今頃、まさかこんな時代が来るとは、と断末魔と共にAI技術の波に飲みこまれて行ったかもしれない。石塚式ピクトリアリズムは、まことを写すカメラで撮ったにも関わらず、私のイメージ内のまことしか登場しない。かつての西洋絵画の影響を受けたピクトリアリズム(絵画主義写真)とは趣きは違うけれど、やってる本人が絵に見えるから、ピクトリアリズムには違いないだろう。何より、この手法なくして寒山拾得も半僧坊大権現もなかった。

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