明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



雷鳴轟く嵐の場面、実際半僧坊が現れるのはそんな場面だけれども、へさきにしろ帆柱にせよ、その先端に立たせるということは、船体や、荒れた海を描かずして、ということでもある。となれば雷鳴轟く背景と、見えない風を描くために浮世絵師がそうしたように、半僧坊の法衣はより風にあおられ、髪も髭も、より風を受けねばならない。 三島由紀夫を戦闘機F 104に乗せる必要があった時は、定年迎えてヒマな酔っぱらいが、三島とほぼ同じ160センチくらいだったので、浜松の自衛隊基地まで連れて行き、物差し代わりに室内展示のF 104の座席に座らせ撮った。 主役の被写体制作に、ほとんどの制作時間を費やし、シャッター切るまで数ヶ月かけているのだから充分だろう。眉間にレンズを当てる念写が理想だが、そんな能力はないのだから仕方がない。今回は帆柱の先っちょだけで済むだろう。


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