明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



多少湯を足した水を入れたバケツを屋上に運び、海女役のHさんを待った。房総で撮影した背景は、太陽が真上に近かったので、凡そ、その時間である正午過ぎに撮影しなければ背景に収まらない。昨日同様、午後から天候急変の可能性があるという。久しぶりだというのに挨拶もそこそこに、さっそく磯着に着替えてもらう。ひしゃくで頭から水をかける。そういえばしばらく父の墓参りに行っていない。こういう作業はあまり客観的になってはいけない。まして私はいったい何をしているんだろう、などと考えてはいけない。電車に乗ってやってきて、海女の格好をして頭から水をかけられているHさんの立場がない。Hさんは海女の格好ができたことを面白がってくれているので、こちらとしては大変有り難い。 Hさんと会ったのは、私が初めて写真作品を発表し、ジャズ・ブルースシリーズ最後となった個展会場であった。黒尽くめでヴェロニカ・レイクばりのハーフカーテン、つまりロングヘアーで片目がが隠れるというスタイルで現れ、まるで『さそり』もしくは『スケ番』シリーズに登場する東映女優のようであった。一応いっておくが、これは口を極めて褒めている。だからというわけではないが、私の“海女物”に登場いただいたというわけである。撮影してみると所作が着物を着た女性のようで少々優雅すぎ、田舎の労働する女性感に欠けたが、これは白い肌を真っ黒に日焼けしてもらうことでカバーすることに。 無事終了し、お茶を飲みながら今後の構想などを話し、次回“尼物”があったらよろしく、と幼稚園に娘を迎えにいくという彼女を見送ったのであった。

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『船の挨拶』では海上保安庁の職員の灯台守が、密航船に銃撃されて終る。毎日通り一遍の船からの信号旗の挨拶にウンザリし、密航船からの銃弾の熱い挨拶に自ら胸を向け、感謝しながら死ぬ。 見張り小屋の風景が、曇天を晴天に変えたため、かえって作り物めいた絵画的風景になった。私の場合は三島が銃撃される役どころになる。 子供の頃TVで三島主演の『からっ風野郎』を観て、演技の下手さに笑ってしまった。どちらが先だか定かではないが『黒蜥蜴』の剥製役も同様である。不器用な三島はプロならたやすい、ちょっとしたことができず、『からっ風野郎』の増村保造監督に怒鳴られどおしだったという。しかし、三島像を作っている今日となっては、その下手さにこそ、たまらぬ味を感じる。振り向いた演技のぎこちなさでさえ、三島の人間性が伝わってくる。こういうのをアバタもエクボ、というのかもしれないが、そうなのだからし方がない。当時三島も含め周囲は監督の増村の仕打ちが酷すぎると憤慨したようだが、今思うと、その後大映テレビにつながる、“下手でもいいからセリフはハッキリ”的な増村監督以外に適任者はいなかったであろう。というわけで、灯台守はぎこちない操り人形のようなポーズで撃たれ、かぶった帽子も芝居がかった調子で落ちていくことになるだろう。 ホームセンターで10リットルのバケツ2つにひしゃくを購入。

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画像処理。海女の腰巻状の布。せっかく濡れて貼りついた尻が、角度的にどう考えても背景に収まらない。熟考の末、太平洋広がる世界を動かし、1つの尻を優先す。 Kさんよりメール。T屋で昼間から飲み、これからT屋のHさんとK本へ行くといので止める。以前、K本で飲んだ後転んだり落ちたりして救急車に二回乗っている。他の常連からも連絡が着たので顔を出す。HさんからKさんを頼むといわれるが、それは連れて来た人の責任である。それにKさんより頼むといったHさんの方が酔っている。本日も酒場に小学生の子供を連れてくる馬鹿がいた。女将さんは女性には厳しいが子供は受け入れてしまう。きまって大人しい子供だが、こちらは酒が不味くなる。横で上機嫌のKさんのいうことなど耳に入れて良いはずがない。あの年頃は騙してでも良いから夢の方を見せるべきである。がっかりするのは、もう少し後でよい。 いつも数十メートル先で収穫する苦瓜やピーマン、茄子などいただくSさんから月下美人の話が出たので、焼酎漬けってどんな味が?と余計なことをいってしまいK本貯蔵の亀甲宮に漬けた一杯が出てくる。アルコールにテイッシュペーパーを漬け込んだような様子からすれば香りが良いが、チュウハイがチェサー代わりということになってしまった。 閉店時間が来て、まだKさん等がワイワイやっているドサクサにスルリと帰宅。案の定KさんやHさんからメールが来るが断わる。本日もっとも重要なのは1つの尻である。作業を続ける。

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一日  


夕方もともと同じマンションに住んでいて、現在横尾忠則さんのドキュメンタリー映画を制作中のプロデュサーYさんと豊洲で飲むことに。木場の交差点の停留場からバスが便利だと聞く。ここかと行ってみると停留所が違う。電話で聞くと三つ目通りだという。しかし三つ目通りがどこか判らない。現代美術館側と聞いてようやく見つける。何が凄いといって私が凄い。 三つ目通りというのは、それこそ毎日のように横切る我が住まいから2、3百メートルのところである。20年以上住む、目と鼻の通りの名前を知らなかった。しょっちゅう耳にしていたし、タクシーに乗っても「三つ目通りから?」というセリフは何度も耳にしていたがフンフンと適当な返事をしていた。方向音痴で道路など興味がないので、それがここだと頭に刻まれていなかったのであった。これには自分でも少々驚く。興味があるものと無いものがの差が激しいのは生まれつきで、多少バカと思われていたのか小学生の時、担任と相談した母が授業中迎えに来て、タクシーでどこかの施設に行き、知らないおじさんと大きな積み木で遊んだり色々質問されたりしたのを思い出す。積み木なんか面白くないのに子供らしくサービスしてやったが。今日はたまたま三つ目通りを知らなかったことが露見したが、あまり外を出歩かず、知ったかぶりしていればなんとか社会人に紛れて暮らすことはできるものである。 横尾さんのツイッターでなぜ映画のスタッフは昼食にカツドンを食べるのか?カツドー屋だからだろうなァ、と書かれていたが、Yさん顔がフックラしていて笑う。以前はガリガリで最近ロケ弁食べてないから、と聞いていたが本当であった。

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海女は当初初江だけにするつもであったが、クライマックスのシーンで静謐な雰囲気を強調するため、海女小屋や磯で、何人もの海女にワサワサと登場してもらうことにした。何人かに連絡する。海女役の依頼などというと新東宝のプロデューサーのようである。一人には断わられた。彼女には何も知らせていなかったが、都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論アダージョ』など見たこともなく、インターネットとは無縁のアナログ派なので、私は数年間何もしていないと同じであった。近いうち個展を開くであろうことを伝えておいた。もう一人は快諾。彼女には田舎の海女の土俗的なエロチシズムを担当してもらうことにする。 アダージョ以来、まず背景を準備し、最後主役を作って背景に収める、という方法をとっているので、まだこれといって完成したものはない。友人から見ると『潮騒』だけに随分時間をかけているように見えるようだが、初江や海女など実物の人間の協力がいるし、海女の装束その他そろえるまでの時間がかかり、背景も房総まで行かないとならなかった。海女小屋ひとつ制作するにも時間がかかる。 今のところ12のストーリーを想定しているが、中にはたった1カットで終えるであろう作品が数点ある。まあ海女がワサワサなどというと、多少えこひいきして時間をかけてしまったとしてもしかたないであろう。そうしたものである。しかしあくまで静謐な雰囲気を強調するためなのである。

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来月9月22日~10月2日 高輪のギャラリーオキュルスで渡辺温オマージュ展《アンドロギュノスの裔》が開催される。渡辺温の短編は独特のもので、たんにその情景を具体的に画にしたとしても、おそらくニュアンスは表せない類の作品である。私は小説など読むと、常に情景が頭に浮かび続けるのだが、文章と浮かぶ情景の間にあるものが不思議な余韻を残す。私にとってまったくの難物である。だいたい渡辺温の写真が少なく、作中に本人を登場させる、いつもの方法は無理だろうと考え、イメージ写真でも、とオキュルスの渡辺東さんにお伝えしたが、できれば渡辺温像を、と資料を二冊送っていただいた。それでも掲載された写真は非常に少なく、小さくかつ不鮮明である。ただここまで無いとなれば、あるていど好きに判断創作しても良い、ということでもある。以前写真が1カットしか存在しないブラインド・レモン・ジェファーソンを制作した時、私は彼の後頭部をゼッペキだと判断した。彼の後頭部の形状など誰も知らないのだから良いのである。

先日定年で青森に帰る後輩のSさんの送別会の帰り、錦糸町のサウナを付き合ったKさん。翌日も駅に送る前に最後ということで朝から飲んだらしい。そのころ私に、このあと某所でスッキリした後、夕方飲もうと相変わらずのメールが着たが、体調悪いということでその日は会わなかった。しかし後で聞くと駅で去っていくSさんに「俺を置いていくのかー!」と大声で叫び号泣してしまったそうである。酔っているとはいえ、何しろ四十年近い付き合いである。寂しがりのKさんらしい話である。アンソニー・クインに若干似ている強面のSさんは、一切振り向かなかったそうだが、Sさんも泪をこらえていたらしい。日ごろKさんに聞かされる女に泣かされた話よりよりよっぽど良い話であった。  

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一日  


海女の初江が使用するタライは獲物を入れるのはもちろんだが、浮き代わりにも使う。入手したのは十代の娘の持ち物としてはいささか味がありすぎるが、誰かから受け継いだ物ということにする。すでに初江と名前を墨書きしてあるが、どうも気に入らない。自分で書いている間は結局気に入らないような気がする。下手糞でも良いから自分の中に無い要素が欲しい。

『コクリコ坂から』の信号旗はやはりおかしいとネット上で指摘している声がある。ポスターも間違っているし、昭和38年当時U・W「汝の安航を祈る」はまだ使われていないということである。企画のための覚書を読むと年代設定に関して『原作は、かけマージャンの後始末とか、生徒手帖が担保とか、雑誌の枠ギリギリに話を現代っぽくしようとしているが、そんな無理は映画ですることはない。筋は変更可能である。』ようするに映画は無理しないものなので、自分のイメージに合うよう変更した。ということであろう。意図的なものなのかオッチョコチョイなのか、どうでも良いことだが、困るのは三島由紀夫が『船の挨拶』に書いたとおりに「汝の安航を祈る」“W・A・Y”という旗を私が掲げたのに、『コクリコ坂から』を観た人には間違って見えるということである。ジブリの制作における緊迫したドキュメンタリー番組など観れば、私だってそう思う。宮崎駿より私の方がどう考えてもオッチョコチョイである。 先日書いたように個展会場では、作品のピアノの鍵盤の数を数えられたり、フンドシで空中に浮かぶ稲垣足穂を指さして、「タルホってほんとにこんな人なんですか」と美少女に詰め寄られたり、色んな目に合うものなのである。

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