明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



せいぜい金魚を眺めて過ごすくらいしか、策といえるものは何もなかったが、それでも、なんとなく、それらしきイメージが漂い初めている。 人形を作る場合、表情は作らない。最たる物は能面だが、その方が見る人の想像の余地があり、勝手に表情をイメージして貰える。撮影に際しても、表情を演出することが出来る。そういう意味では、魚と鳥は、眼を見開いたままでまったく表情がない。そこが眺めていて想像をかき立て、金魚自体というより、自分内部の声に耳を澄ます効果となる。若沖が鶏をモチーフに選んだのもそんな面白さであったろう。



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最初、豊干禅師実は阿弥陀如来的に考えていたが、寒山と拾得、実は文珠菩薩と普賢菩薩、同様、虎に乗る怪僧、とすべきではないか、と思い始めた頃、入手したのが藤本鉄石の『豊干と虎図』であった。まさに怪僧である。毛がモジヤモジヤしているところまで、新東宝の『東海道四谷怪談』の宅悦役や『地獄』に出ていた怪奇俳優大友純を思い出す。幼稚園に通園中、選挙カーで笑顔で手を振る大友純を見たことがあるが、明らかに目撃した大人たちは固まっていた。選挙の応援は人を選んだ方が良い。しかしありがちなことだが、真面目で優しい人だったそうである。あの顔でホントに悪かったら処置無しである。 ところで豊干はともかく虎である。藤本の虎は、最後弟子と二人で壮絶な討ち死にした攘夷派の志士とは思えないとぼけた虎である。これを見ているうち、虎も勇猛な虎は違うのではないか、と思い始めてきた。必ず作らなければならないモチーフに四睡図がある。虎と豊干と寒山と拾得が寄り添って平和な顔で寝ている図である。まあ虎は豊干の頭部を作ってからだけれど。そろそろ寒山拾得の膜に覆われた気分になりつつある。



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2日から手掛けていた物、仕上げの段階に。おかげで正月休みという、世間が休みで、それに乗じ堂々と、また清々しく豊干禅師などというモチーフを手掛けられるところ、作り損なった。まあ今年は正月気分など、始めからなかったから良しとしよう。 豊干の乗る虎は、猫を撮影し、虎を見たことがなかった日本の絵師の味を出すことに決めていたが、猫が思ったようなポーズを取ってくれない、という問題があったし、虎を合成するとなると、虎に乗った豊干は展示出来ず、いつものように、撮影が終わり、首を引っこ抜いて捨ててしまうことになる。それに今は、同じ画面内でなければ、猫を撮影した虎と、作った虎が混在していても良い、という気にもなっている。私も随分と融通が効くようになったものだが、昨年11月頃、頼まれて某動物を作り、しかも毛流があるべきだろうと、方法を考えた。まったく虎のことは頭になかったが、虎を作れ、とこれまた導かれていたのかもしれない。



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子供の頃、漫画雑誌の特集その他でネス湖の恐竜の写真を良く目にしたが、私は何処が恐竜なんだと思っていた。それはかま首をもたげた恐竜の波紋からしてアヒル程度の大きさにしか見えなかった。実際あれは我々が捏造した、という老人が名乗りでたのではなかったか。 特撮監督の円谷英二にしても火と水には苦労したはずで、サイズ感を自然に見せるには、アナログである限り、できるだけ大きな模型を使うしか策はなかったろう。 陰影を出さない石塚ピクトリアリズムは被写体が人形と、例えば実物の行灯などスケールが違う物を配するため、デジタルによる合成が必須である。私としては、昔のピクトリアリストに対して、今だからこそ可能であるという意味で、ざまあみろ、という想いを抑えることが出来ない。 ところが問題となるのは、相変わらず火と水である。火は今のところ筆描きした物を使用して何とかこなしてみたが、問題は水である。陰影がない、ということは、同時に光の輝きや艶、反射も無いということになるだろう。輝き、反射なくしてどうやって水を描けば良いだろう。火の場合は蠟燭の火、鬼火、せいぜい焚き火だが、水の場合は海はともかく小川、滝など。これまた筆描きになるのだろうか。以外の方法はないだろうか。なんて書いていて一つ浮かんだが。 それにしても一人で何ブツブツいっている?この孤独感こそ私の大好物。


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作っている本人が理由が良く判らないでいるが、プリントを拡大すればするほどリアルになる。モデルとなった人形を見れば判るが、案外詳細な部分まで手を掛けていない。必要でないのでそうしているのだが、なので、あまり拡大には耐えられないだろうと思っていた。16年の深川江戸資料館の個展で、実物大またはそれ以上に拡大したら、想像と違っていた。私はそこまで作ったつもりはない、と他人同士のように連中と見つめ合った。これにより、自作の人物を自ら撮影する、という手法の中でも拡大するほどリアルになる、という新たなメリットを発見した。サンディエゴ写真美術館のデボラ・クラチコさんに私の作品はそうした方が良い、といわれたことがあったが、前述の通り、アラが目立つだけだろう、と思った。 ところで。かつて人間大であった人間よりも河童や、あるいは寒山拾得は、実際は居ないからこそ居るかのように拡大して見てみたい気がする。



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最近マイクロフォーサーズのカメラを使っていたが、調子が今ひとつで、新たに欲しいのだが、『貝の穴に河童の居る事』を制作する前に、ベトベトと生臭い、と著者の泉鏡花が評する河童の三郎を撮影するために、何本か、妖怪を撮るのに相応しいと思われる、必要以上にウェットに写ったり、また陰気だったり、普通に使用するには躊躇するようなレンズを集めた。しかし実際は30センチほどの河童を実景に合成し、最大で一メートル位に見えるよう合成したのだが、そうなると、レンズの味というのが、それが邪魔になり、ほとんど使わずじまいであった。 その数年後、写真から陰影を排除することになり、さらに画の均質が必要となりレンズの味はよけい邪魔である。ところが、寒山拾得では、陰影あるカットも差し挟みたい気がしている。となると、河童用のレンズはどうだろう。寒山と拾得が実は文殊、普賢菩薩だとしても、とりあえずの見た目は妖怪じみている。あの手のレンズを使うとするならば、フルサイズのカメラが良いだろう。



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東映  


テレビで懐かしいテレビドラマ、東映のキーハンターを観た。しかし馬鹿馬鹿しくて最後まで見ていられない。大人が観ていたとは思えず。キーハンターやガードマンに小悪党役で蜷川幸雄が出ていたが、小学生が見ても二流であった。選手と監督は才能が別ということなのであろう。 東映のプログラムピクチャーの如き物も、面白い物は面白いが、今観ると一体どんな大人が見ていたのだ?と思える物が多い。いやどんな大人が観ていたについては良く知っている。不良に絡まれないよう、座席に深く座って、藤純子の大アップ画面の美しさに唖然としたりしていたので、どんな客層だったかに関しては良く知っている。東宝系とは明らかに違っていた。 鶴田浩二は決まってたし、高倉健は確かにカッコ良かった。良かったけれど、その後、侍をやっても私には侍には見えず、軍人がせいぜいに見えた。『唐獅子牡丹』が演歌なら、私がカラオケで生まれて初めて歌った演歌はこれだったかもしれない。三島由紀夫が最後に歌った。しかし本物のヤクザの親分が俳優に転向してヤクザ役、さらには自分役までやっていたのだから時代は変わった。 



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母が昨年暮れに退院した病院から、正月早々クラスター発生の連絡。検査の結果は四日頃という。しかし検索してもこの病院、クラスターの公表はない。そういうものなのか。四日は連絡なく、しかしホームには居るので、何かあればホームから連絡あるはずだ、と思いながら、病院の相談員という職員に本日連絡すると陰性で、勿論隔離の必要もない。という。あんた私に連絡するといったろ?とは思ったが、結果良ければまあ良いか、と。サンフランシスコ在住の妹には、知らせる必要はなかったと後悔。母は92だと思い込んでいたが、まだ91であった。

行きがかり上作ることになった物、おおよその形が出来る。すべて私が着想したことで、その時は自分で作ることになるとは思わず、スラスラとアイデアが出たが、言いだしっぺということで、私が作ることになった。それでもやってみると仕上げが面倒ではあるが、イメージに近いものに。何だか最近苦手な物ばかり作っている気がする。これが例によって弓の引き絞り効果となって、間もなく矢が放たれることになるだろう。まずは豊干禅師となる予定である。水槽の金魚、寒山は、バケツに隔離し絶食させると、腹を上にして浮いてしまう症状が落ち着くので、また水槽に戻し様子を見ている。



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2日目の晩から粘土。これがどちらかというと苦手なモチーフしかもレリーフ。行きがかり上やらざるを得ないという奴だが、寒山拾得に取りかかりたいのをあえてやらないことにより空腹感が増し、と私が良く使う手である。 我が家の寒山拾得水槽だが、何度もキャストの変更を繰り返し、ホームセンターで入荷直後の志村養魚場産の桜東錦を購入。あまりに可愛らしく、今なら沢山いるので、選ぶことが出来る、と寒山と拾得が揃うと、同じ桜東錦でも、コントラストを出すため、あえて不細工な一匹を購入し、前の一匹を拾得、こちらを寒山とした。順調に育っていたが、金魚を飼い始めて知ったが、フナのようなタイプの長物と、丸っこい丸物がいるが、この丸物が体質的に転覆病というのになりやすく。暮れから寒山が、気が付くと腹を上にしていることがあった。消化不良が原因の場合があると、度々絶食させては、回復していたが、今回は少々重篤のようで、バケツに移し塩と薬と酸素で処置。果たしてどうだろう。



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2日  


初個展から約40年で一回りして初心に還った気になっているが、大晦日に書いたように、一歩タイミングがずれていたら、そんな心境に至るには年を跨がなければならなかったろうし、着地はぐらついたろう。けじめも記念日も何もない私だが、新春に、初心に還った気がするのは納まりが良い。気になるとすれば、次は寒山拾得だ、といつ、どのタイミングで思ったのか、未だに思い出せない。今のままだとホントにUFOに乗せられ、いつの間にかチップを埋め込まれた人のようで居心地が悪い。

蜂窩織炎で入院していた母は大晦日に退院した。炎症はとっくに治癒していたが、普段車椅子の母は、未だ自力で歩くつもりでおり、リハビリを続けるために退院を伸ばしていた。ホームにいるとさらに歩けなくなることは判っている。その病院から、元旦にクラスターが発生したと連絡が来た。母の検査結果は4日頃に出るという。母の諦めの悪さにより、危険が生じてしまったが、こればかりは仕方がない。私の制作における諦めの悪さは、母由来だと思うと何ともいえないのであった。

 



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元旦  



昨晩は、恒例の大晦日のブログは早朝アップしたし、久し振りに購入したテレビで格闘技戦を見ながら、どうということもなく寝てしまった。朝、金魚水槽の紅白の舞い踊りを眺めながら鍋。勿論真っ先に金魚に餌はやったが、まだ足りないとばかりにこっちを見ている。金魚は目が良くないと聞くし、まさか私が食事していることが解っているとは思えないが気になる。砂町銀座で買っておいたハゼの甘露煮。昔は秋に釣った大きめの物を正月用に干しておいたものだが数十年ぶり。 私が暮れの大掃除を正月に持ち越さなかったことはない。未だに転がったままの芭蕉庵用材料を片付ける。寒山拾得の屋敷、寺院内の背景を、逆遠近法で作ろうと考えている。何度か画像処理で試したが、成分が写真だと、写真であるという先入観で、余程歪んでいないと、かつての東洋的遠近感である効果が感じられない。そこで背景を予め逆遠近で作って、それを撮影したらどうだろう、と思い付いただけで、思ったような効果が出るかは全く判らない。芭蕉あん制作は、工作ベタの私に用意された練習課題といっては芭蕉に悪いけれど。 ところでなんで寒山拾得をモチーフにしようと思ったのか、暮れから本気に思い出せない。ブログのカテゴリーで見てみると、16年の夏に突然、前から考えていたかのように始まっている。おそらく私のことだから、きっかけ、動機などくどくどしく書いているはずだが今のところ見つからない。知らないうちにチップを埋め込まれてその気になったかのようだが、まさかボケのせいだ、なんてことにはならないだろうが。 三島由紀夫だ、室生犀星だ、などといっているウチはそれぞれの作家に興味があればともかく、ついに土俵を割って寒山拾得に至った。「Don't think! Feel考えるな!感じろ」で来たらこうなった。今年もよろしくお願いします。



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蝦蟇仙人が連れている蝦蟇蛙は後ろ脚が一本の三本脚の蛙だが、片脚が欠損ということではなく、真ん中に一本生えている。それを顔輝作、またそれに影響を受けたであろう、幾多の絵師同様、その脚を鷲掴みし、頭の上か肩口に乗せているつもりでいたが、いざ頭の上に乗せてみると、我が仙人は、カエル顔にしたことと、予定より大きく作ってしまったせいもあり、犬くらいの大きさの蛙が勝手に頭に乗っていた方が面白そうである。予定は日々変わっていく。そもそもなんで蛙を作っているのか?という話であるから、これで良いのである。作ってみると案外面白く、本物の蝦蟇蛙に触れずに済みそうである。



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