明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日、アマゾンで必用以上注文して失敗したと思ったら、今度はすぐに使いたい物が、すぐに届かないことが判りイライラする。作ることになるとせっかちに変身し、癇癪をすぐに起こすのだが、イライラするくらいなら、と久しぶりに昼間からサイゼリアでワインでふてくされる。 つらつら考えるに、今まで学び、得てきた物はたいしたことはないが、生き物として元々備わっている物は、草木同様、たいした物であるはずで、その欲動にいかに身を任せるか、にかかっているだろう。そこで邪魔になるのが下手な考えである。であるから、なんで寒山拾得を作りたくなったか、何故脱線して、達磨大師に教えを乞うため、己の左腕を切り落とした人物を作っているのか良く判っていないのだが、湧き上がる欲動に任せていると、そういうことになる。経験上その方が結果は良い。 落語の『禁酒番屋』で、小便を酒だと思い込んだ男が、いやに泡立つ酒だ、とふーふー吹いて、表面の泡を退かして飲もうとするのが可笑しいが、そうやって下手な考えをいかに退かして酒を飲むか、そこが肝腎であろう。その泡を退かす効果があるのが、座禅だったり、私の場合は金魚を眺めることではないか、と理解しているのだが。


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人形制作を始めた当初から使っていた、私独特の道具がある。スーパーによってはただでくれるが、他の物で代用が出来ない。引っ越ししてから、入手しやすいスーパーがなく、ないとなるとどうしようもない。仕方がない、とアマゾンで注文。十個もあれば数年は行けるだろう、と思ったら、セットの数を間違え、送料込みで二千円で、三回生まれ変わっても使い切れない程の量が届き歎息す。 明日から蝦蟇仙人 とペアとして描かれる鉄拐仙人を作ることにした。この二人は対で二カットずつは物にしたいところである。 鉄拐仙人は自分の魂を遊離させて飛ばす術を使う。師のもとに訪れる際に、抜け殻となった身体を弟子に委ね、七日経って帰らなければ焼却することを命じ、魂を飛ばす。ところが弟子の母親が危篤になり、六日目に身体を焼いて母の元へ帰ってしまう。帰って来た鉄拐仙人は、仕方ないので、傍らの乞食の死体を使い蘇る。鉄拐とは、その乞食が脚が悪く、鉄の杖を持っているところから来ているらしい。多くは死体らしく、顔色悪く描かれる。ウチにある鉄拐仙人も、なかなか出来が良いが,その顔は、中国の顔輝作の顔を踏襲しているように思われる。私の場合は、顔輝作の伝統にのっとって作ったところで感心されることはないだろうから、蝦蟇仙人同様、好きに作った。


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午前中、頼まれていた物を作る。 今の所、仕上げを残し、大方作って乾燥まで持っていったのが六体。実はここまでがもっとも集中し面白いパートであり後は時間だけの問題である。 事の発端?である寒山と拾得は、一応頭部は出来ていて、これが今年の初めであれば、上手く行った、とほくそ笑んでいたところだが、その後、脱線してしまった。中にはついこの間、存在を知った人物を作っている始末で、何年も考えていた寒山拾得を放っておいて予定していなかった人物ばかり作っている。そうこうして私も変わってしまい、寒山拾得も、ちょと違う気がしてきた。考えるな感じろ、も大概にしないといけない。といいたいところであるが、今回のモチーフは、そのまま行ってこそであろう。まさに行けば判るさ、である。今年の初めは金魚を眺め暮らすしか策がなかったのは本当のことであったが、性能の悪い頭さえ使わなければなんとかなる。それだけは経験上知っていた。


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『慧可断臂図』の慧可は、髭も髪も剃り、伏し目で個性のない顔にした。長いこと作っているが、あえて特徴のない、と作ったのは初めてだろう。実在者制作から、たがが外れて作った個性的な顔ばかりなので、あえてそうして目立たせようと考えた。蝦蟇仙人だからといってカエル顔にする必用はなかった。とまだいっている。カエル顔の人物など作る機会はないだろうし、気に入ってはいるのでそのまま行くけれども。対する共演者が達磨大師なので、慧可は個性のない顔で正解だろう。もっともっととやり過ぎる私にしては、良くとどめたが、雪舟が泣きそうな顔にしているのが解せなかったことと、己の左腕を切り落とした直後の人物である。静かな表情にしてこそ、このモチーフであろう。ちなみに断臂(だんぴ)とは肘から下を断つことを意味する。 昔ワイドショーで見たが、バイクのツーリングで仲間と高速を走っていた男。どこかにぶつけて片脚の膝から下を切断してしまったが、本人気付かず合流地点へ。驚いた仲間が慌てて片脚を捜しにいった。酔っぱらった関西人が、飼っている猫のつもりで動物園の虎にちょかいだして、食いつかれ、翌日片腕でベッドの上でインタビューなんていうのもあった。

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運動不足解消用のエアロバイク、購入後四カ月にして、ようやく組み立て終わる。試しにこいでみる、一番強い負荷をかけるが、思いの外たいしたことがない。なんだこの程度か?しかし四分を過ぎたあたりから脳裏に用事が浮かび始める。今日のところは座り心地くらいが判れば良い。このぐらいにしておこう。しかしこれほど用事が浮かぶようではおちおちこいでもいられない。そのために眺めようと考えていた水槽の金魚を新たに増やそう. 浮かぶといえば昨日の『一休和尚酔臥図』だが、酔い潰れた一休禅師に犬が小便はやり過ぎだし、余計な所を放り出しているのも昔、村山槐多で一度やっているからもういいだろう。人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ているそうたが、道ばたで酔い潰れている一休宗純など見てみたい。と思ってしまう。これがいけない。飲んだくれはエドガー・ポーと太宰治でやりそこなった。特にスカしている太宰はぐずぐずにしてやりたかったのだが。今回はやることがまだまだ多くて一休和尚酔臥の図はまだ判らない。
『尿する村山槐多』

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すでに出来ている頭部に身体をざっとでも作るまでは、次のモチーフには目を向けない、と決めていたのだが、本棚を整理していて、ついページをめくって、英一蝶の『一休和尚酔臥図』を見てしまった。一休が道ばたで酔いつぶれしまい、傍らの庵の男が心配そうにしている図である。昔の絵画では東西問わず良くあるが、偉い人物を大きく描き、そうでない人を小さく描いてるところが可笑しい。 一休禅師の制作は、正月の京の街を竹竿にしゃれこうべを掲げて歩く“門松や~目出度くもあり目出度くもなし”の一カットだけを予定しているが、正月早々実に嫌味なことをして、さぞかし嫌がられたに違いないが、そうこうしているうちにお屠蘇で酔っぱらってしまい、しゃれこうべを放り出し、寝込んでしまう。ついでに野犬にオシッコをかけられたりして。放り出しついでに、余計な所まで放り出しても良い。私は酔っぱらいに関しては豊富なデータを保有しており、泥酔したままボロ雑巾のように死んだエドガー・アラン・ポーの死の場面の決定版制作を考えたこともあった。


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メルカリで500円で買ったレンズが届く。以前入手した違う焦点距離のレンズが良かったので入手した。今となれば流行遅れのスペックということになるが、私の持論、必用のない技術は身に付けてはならない。と同じく、道具の性能も必要以上の物は要らない。余計は性能は、必要ないことを仕出かす場合がある。(ここには被写体が私が作った物である、という問題を含んでいる) かつて大判カメラを使い、古典技法に挑んでいた頃は古典レンズを取っ替えひっ替えし、ニジンスキーが撮られたと同じと覚しき水晶製レンズを見付けたりしたものだが、長い旅路の果てに試みている石塚式ピクトリアリズムは、小さな人形と、その他の拡大率の異なる被写体を同じ土俵に”手術台の上のミシンと蝙蝠傘“が如き出会いをする都合上、レンズの味といわれる物が妨げになる。結果、私の写真作品は、私の創意工夫をさておいて、良い描写ですね。とレンズメーカーの努力が称賛される心配はない.。

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達磨大師は振り返った所を作ったが、大きな耳たぶに耳輪を作りたいため衣を頭から被せなかった。雪舟の慧可断臂図の衣は白色だが、周囲はそれより白くないので、雪の日だとは思わなかった。また慧可は腕を切断しているにもかかわらず、一滴も流血していないが、私は多少滴らせたい。その僅かな赤に対応させるため衣はお馴染みの赤色にしたい。正面を向いたバージョンも作りたくなった。禅宗の開祖、さすがに万能である。寒山と拾得の間に置かれることもある。 臨済宗の臨済義玄からさかのぼるようにして、気が付いたら達磨大師を作っていたが、行き当たりばったり、成り行き任せというのは、未知の物に身体が反応してしまい、そちらを向いてしまうので、我に返ると、なんで私はこんな所に居る?となる。記憶をなくして知らない土地に立っていた、みたいだが、そこで頼りになるのが、当ブログである。この時、その気になったな。と後にその心の旅路の解析に役立つだろう。そしてちゃんと地図と時刻表を携え、ここまで来たのだ、という顔をしたい。現実世界では、地図と時刻表など、もっとも苦手な物だが。






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『慧可断臂図』の慧可乾燥に入る。弟子入りを願い出て、達磨大師の前で左腕を切り落した慧可は、雪舟作では流血もしていないし、左腕を進物のように持っている。もちろんこんな事実はないだろう。これが当時、どれだけ知られたエピソードだったのだろう。私は慧可にはいくらか頭を下げさせ、その代わり哀し気な表情はむしろ無表情に抑えた。膝から下は積雪に埋もれさせ、切断に使用した剣は傍の雪に突き立て、点々と僅かに流血させる予定である。 それにしてもこんなシチュエーションを描くのは実に面白い。小学校の学芸会で我慢比べして大便を漏らしてしまう大国主命の紙芝居を作ったくらい面白い。何だか数十年の時を経て、帰って参りましたの感がある。達磨大師の座禅する岩窟は、実写にするか作って撮影するかは未定。

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約四十年前、コタツの上で制作し、寝ていた。それは長く続いたが、独学かつ自己流の私は、何か変だが、どうして良いか判らない、という悪夢を良く見た。横着にもコタツから出ず、離れて眺めチェックすることもしない。またここで虎渓三笑のミスをしばしば起こした。回転台の上で作るのだが、前面を作っていて集中してしまい、気が付いたら前面が殆ど出来て、後ろ半分が手付かずで慌てて後ろ半分を作った。ひどい話であるが、これが後年、写真を撮る際に功を奏す。 一眼であるカメラの視点で初めて成立する撮影専用の造形をした。勿論写らない所は作らない。そうでないと得られない効果がある。また、制作時間がなく、造形と撮影の二刀流に乗じて写る所しか作らずに済ました。それは数°たりとも動かせないほど冷酷に写らない所は作らない。お陰で展示ができない被写体が増えてしまった。2016年、深川江戸資料館における『深川の人形作家石塚公昭の世界』に展示出来る作品は全て出品しようと、急遽後ろ半分を作り足したが、爪の先ほどの問題も生ぜず。 独学者が集中し過ぎて身に付けた特殊な手法。密室内の出来事は決してよそで口にしてはならない。



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TOKYOMX賢人からのメッセージを観る、臨済宗・大本山相国寺塔頭養源院住職、平塚景堂。芸大出の絵描きでもある。座禅の方法その他紹介されていた。慧可が切断した左腕をどんな角度で持たそうか考えていたところに雪舟の慧可断臂図が出てきた。住職の親友として一休宗純縁の真珠庵と住職が出てきた。以前だったらこりゃたいした縁だ、とその気になっていたところだが、臨済宗の禅とアートとの関係を知ってからは、私の思い込みだった、とはしゃぐことはない。 ところで我が母は、様々な手を尽くし、私の性根をなんとかしようして断念、そこで身を守るため、一般人のフリして目立たず世の中に潜伏せよ、とうるさく言われて育った。もちろん具体的にそう言われた訳ではないけれど。おかげでチック症になったくらいだが、結果、人が当たり前にすることはほとんどせず、作ること以外何もして来ていない。私の一生を早回しで見たなら、誰しも後退ることであろう。まあ、この歳に至ればもう仮面など必用はない。メデタシメデタシ。番組を見ていて、私には座禅は必用ない、と改めて思った。

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友人から久しぶりに高田馬場で会おうと連絡。洗濯を済ませ、己の左腕を切り落とし、達磨大師に教えを乞う、慧可の仕上げをしていたら、出発を予定していた時間を過ぎてしまった。まさに言ってるそばから、である。 三十年は山を降りずに修業するつもりの坊さんが、訪れた友人を送っていこうとして話に夢中になり、ラインを越えてしまい笑う三人、虎渓三笑図だが、完成したら、戒めとして部屋の一番目立つ所に掲げておくべきであろう。柱時計の横が良い。 それにしても、集中力は幼い頃から変わらずは良いのだが、こういう所は改善されず。やはり目覚まし時計か。最後に久しぶりにカラオケで一曲。 


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達磨大師撮影。壁に向かって九年で手足が腐って無くなってしまったそうだが、私もずっと自分を見つめ制作し続けて来たが、私の運動不足も達磨大師を思えば、まだまだ修業が足りない。散歩嫌いだが、金魚を眺めながらなら、とエアロバイクを入手したものの、組み立て完了しないまま三ヶ月は経つだろう。来週には組み立てる予定だが、改めて眺めてみると、修行の妨げにしかならない気がする。 それはともかく、寒山拾得以外はおおよそ構想も固まって来た。全体のバランスなど考えずに制作しているので、この辺りでバランスを考え、もう少しモチーフを増やしても良いのではないか。 今のウチからこうして気にしていないと虎渓三笑の教訓ではないが取り返しの付かないことになりそうである。近所の喫茶店で打ち合わせだ、と10分前まで時計を見ていたのに、手を止めずに作っていたら30分過ぎてしまって、我に還り用の目覚まし時計を買ったくらいで危険である。始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず、出禁を喰らったのは小学3年であった。


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