明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



風狂の絵師というと真っ先に浮かぶのが曾我蕭白である。1730(享保15)年、京都の商家に生まれたというから一休と同じ頃ではないか、と思ったら、曾我蛇足に私淑し、自らその十世を名乗ったという。何のことはない。私は蛇足の臨済宗宗祖臨済義玄を元に義玄像を制作し、小学生の頃、伝記に載っていた蛇足の一休像と、残された木像を元に、ここ毎日見つめながら一休の頭部を作って来た。いうなれば同じ穴のムジナではないか? 初めて寒山拾得を見たのは昔千葉の美術館の曾我蕭白展だったろう。その時は、全体がインパクトありすぎ得に寒山拾得ということはなかったが。それにしても1700年代にあれだけイカレた作風が受け入れられていた、というのが驚きである。一方同時代で人気の伊藤若冲に関しては私にはご苦労さんとしか思えないのであった。



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