明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



達磨大師は振り返った所を作ったが、大きな耳たぶに耳輪を作りたいため衣を頭から被せなかった。雪舟の慧可断臂図の衣は白色だが、周囲はそれより白くないので、雪の日だとは思わなかった。また慧可は腕を切断しているにもかかわらず、一滴も流血していないが、私は多少滴らせたい。その僅かな赤に対応させるため衣はお馴染みの赤色にしたい。正面を向いたバージョンも作りたくなった。禅宗の開祖、さすがに万能である。寒山と拾得の間に置かれることもある。 臨済宗の臨済義玄からさかのぼるようにして、気が付いたら達磨大師を作っていたが、行き当たりばったり、成り行き任せというのは、未知の物に身体が反応してしまい、そちらを向いてしまうので、我に返ると、なんで私はこんな所に居る?となる。記憶をなくして知らない土地に立っていた、みたいだが、そこで頼りになるのが、当ブログである。この時、その気になったな。と後にその心の旅路の解析に役立つだろう。そしてちゃんと地図と時刻表を携え、ここまで来たのだ、という顔をしたい。現実世界では、地図と時刻表など、もっとも苦手な物だが。






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