一休和尚、髪をぼさぼさにする。曽我蛇足の作でも奇麗に剃っているものもあるが、おそらく一番有名で、子供の時に私が見た蛇足作はぼさぼさの髪で、如何にも風狂の人である。私は本当のことなどどうでも良い、と常日頃いっている割に妙に律儀で、蛇足が一つ残してくれたおかげでぼさぼさに出来た。かつての羽生善治ではないが、寝癖より、もっと大事なことがあるだろ感が出る。 一休制作を再開して、風狂というキーワードを思い出した。寒山拾得を作ろう、なんていうからには肝心なことである。私のイメージでは坊様というのは清潔でキチンとしていて一休と違い、風狂とは程遠いイメージである。こんなモチーフを手掛けるようになり、つい宗教番組など見てしまうが風狂の精神など語られることはない。平成の世に何処にそんな物があるのか見当もつかない。 40年前にジャズ、ブルースシリーズを始め、次に作家シリーズ、段階的にそれらのモチーフについて語り合う相手が少なくなり、ここに至り誰もいなくなった。そんなことはまったく気にはならないが、風狂ならぬ酔狂に終わってはならない。