明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一休和尚、髪をぼさぼさにする。曽我蛇足の作でも奇麗に剃っているものもあるが、おそらく一番有名で、子供の時に私が見た蛇足作はぼさぼさの髪で、如何にも風狂の人である。私は本当のことなどどうでも良い、と常日頃いっている割に妙に律儀で、蛇足が一つ残してくれたおかげでぼさぼさに出来た。かつての羽生善治ではないが、寝癖より、もっと大事なことがあるだろ感が出る。 一休制作を再開して、風狂というキーワードを思い出した。寒山拾得を作ろう、なんていうからには肝心なことである。私のイメージでは坊様というのは清潔でキチンとしていて一休と違い、風狂とは程遠いイメージである。こんなモチーフを手掛けるようになり、つい宗教番組など見てしまうが風狂の精神など語られることはない。平成の世に何処にそんな物があるのか見当もつかない。 40年前にジャズ、ブルースシリーズを始め、次に作家シリーズ、段階的にそれらのモチーフについて語り合う相手が少なくなり、ここに至り誰もいなくなった。そんなことはまったく気にはならないが、風狂ならぬ酔狂に終わってはならない。



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なぜ一休和尚を作ることになったのか、もはやブログを読み返すしかないが、子供の頃に『一休禅師』を読んで、印象的な面相と”門松は~目出度くもあり目出度くもなし“にいたく感心したのを思い出し、ついでに工芸学校の頃、一番好きだった陶芸家、河井寛次郎の“鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥“にも感じ入ったのを思い出した。私は一点だけ凝視してしまうところがあるから、こんな客観的な見方に感心してしまうのかもしれない。この頃は、禅宗でも特に臨済宗が、先達の肖像を残す習慣があったのを知らなかったから偶然にも、寒山拾得と同じ、一休も臨済宗か。と思ってしまったのだろう。今となっては、そんな思い込みのせいで、一休禅師が酔い潰れているところも作ることになり、実に良かった。やはり成り行きに身を任せるに限る。しかし考えてみると、寒山拾得も一休も、風狂という肝腎なことを象徴するモチーフである。その点を忘れてはならないだろう。



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