明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



完成した頭部がすでにある人物?のうち9人は、それぞれ一カット分の身体が仕上げを残し出来ている。残りは琴高仙人と仙人である。しかし一休宗純を手掛けてみて、そもそも寒山拾得に惹かれた理由はその”風狂”味だ、と改めて判った。それに早く気が付いていたなら、仙人など作らなかったろう。しかし時間をかけて蝦蟇仙人用の三本脚のガマガエルまで作ってしまった。古来より描かれ続けたモチーフだし、寒山と拾得の策がないことにかこつけ場繋ぎで作ったというのが正直なところだろう。今までとは様々勝手が違う。ペース配分が良く判らない。 残り2人の仙人を後回しにして、他の作品の仕上げをするか、寒山と拾得の頭部に再び取り掛かるか。絶対に絶対にしてはならないのは、布袋尊のように、その日の午前中まで考えもしなかった物を作り始めることである。

※豊干禅師、おおよそ出来たが、画像量の問題か只今ブログにアップ出来ない。



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昨晩は津波警報で気分が削がれてすぐ寝てしまった。本日は天気も良く、豊干禅師というご馳走をむさぼるには最適な日よりである。家にいつもいるくせに天候に気分が左右される。 最近無呼吸用のCPAPを寝る時に装着するようになり、症状は改善されているものの、クリニックに届くデータにより、睡眠時間の短さも判ってしまった。昔は睡眠時間を短くすることは、自発的に長生きすることと同じだ、と思っていたのだが。しかし無呼吸が判明し、CPAPにより異様な眠気が取れると、特に睡眠不足は感じないが、昨晩もそうだったが、昔からの宵っ張りが寝る時間がどうも早いな、とは思ってはいた。まぁ寝不足とは感じないから問題はない。 せっかくの豊干禅師も、完成に向かってしまう。独学、自己流者の悲しさ、イメージが手先に伝わらない長い年月を経たが、今は、私の頭に浮かぶ程度の物は出来るようになった。それ以上の物は必要ない。 高校の夏休み、鉄骨運びのアルバイト、何であんな爺ィに出来ることが、と悔しかったが、コツが何となく分かりかけた頃に夏休みは終わった。あんな爺ィと思った爺ィも今の私より20以上若かかったろう。



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昼間頼まれている物を作る。慣れないことゆえ時間がかかる。結局なんだかんだしていて日も変わる前にようやく豊干禅師に取り掛かる。昔から胴体に最初に取り掛かるのは日が落ちた後と決まっている。 今時地球上で豊干禅師を作っている人間は私だけだろう。というお馴染みの甘美な孤独感。最近のモチーフはこの快感をむさぼるには絶好のモチーフである。以前友人がそりゃどんな感じだ、というから、一般人が家族に囲まれた団欒の暖かさ、そんな感じだと思う。と答えた。しかし実際そんな状況になったら本物の孤独感にいたたまれず、死にたくなるだろうけれども。私の賢明なところは、そんな状況を、試さなくても私を孤独のどん底に叩き込み、快楽を阻害するだけの物だと知っているところである。だからお前にも、友情をもって止めたろ? 豊干禅師の首を芯材に取り付けた所でテレビが津波が来るから逃げろと連呼。快楽をむさぼる気分が削がれて早々に寝てしまった。



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一日  


布袋尊が丸ごと乗るような、通常より大きな頭陀袋。それを含む仕上げで結局今日一に終わる。急遽始めてしまった作品であるし、たった一カットのために、あまり時間を掛ける訳には行かないが、撮影時に陰影を出さないように撮る石塚式ビクトリアリズムは、陰影による誤魔化しが効かないので、ちゃんと作っておかないと、アラが丸出しとなってしまう。見る分にはリアルな重ね塗りによる肌の着彩も、撮影すると汚れにしか見えず、三脚を立てたまま塗り直した。以来肌は一色のベタ塗りである。この結果は、原点である人形制作者として襟を正す結果となり、こうして自分のしたことにより教えられて来た。よそ見をせず、自分だけの現実で充分だ、と改めて。禅的な物に惹かれる原因はこんな所にもあるのだろう。 これらのモチーフを手掛けていて面白いことの一つは、曽我蛇足の一休宗純は別にすれば、その多くはモチーフである本人を見たことがなく、或いは想像力の産物であり、そういう意味では条件は私とあまり変わらず、勝手に末席に連なる気がする所である。ここ一年、コロナ禍の中数百年前の連中とばかり会話している。 達磨は面壁9年、手足が腐って無くなってしまったが、私もこのままでは危ない、とちょっとの自転車漕ぎ運動とスクワットで筋肉痛。



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布袋尊は日本でいう七福神の中では唯一の元人間で、禅宗の僧である。弥勒菩薩の化身ともいわれる。布袋様は軍配を持っていることが多いが、その出自を考え持たせていない。名前の由来となった托鉢の残り物を入れる袋だけとした。この袋は施し物を入れるが、皆に配りもする。とにかく何でも受け入れる大きさが布袋である。大きな太鼓腹だけでは足らず、堪忍袋ともいわれる袋を大きくし、クッションのように乗せてみた。仕上げに向け乾燥に入った。  予定外のモチーフを作ってしまったので、グズグズしておらず、返す刀で明日は豊干禅師の制作に入りたい。 そんな気になれるのも、無呼吸症候群用の治療具CPAPが明らかに効いている。原因が判らずにいたらどうなっていただろうか。幸いなのは鼻にマスクしようが何しようが、相変わらずピストルに撃たれたように寝られることである。今時個展用に布袋尊作っている人間が、神経質で不眠症の訳がないけれど。



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外側にレンズを向けず眉間にレンズを当てる念写が理想といって来たが、人間も草木同様の自然物、肝心な物はすでに備わっている、と考えていた。その声を聞き逃さない、それを重要視した。それに加えて人と自分を比較しない、ところは徹底していた。というよりその能力に欠けていた。そこに生来の出不精が重なり、美術館他どこも行かなくなってしまった。勉強はすれば良いというものではない。むしろ一度入った物は出て行かないことを恐れ続けた。芸術作品は道を踏み外すよう誘惑してくる物である。今となると、独学者で我流者でなければ至る事のない私となったろう。  こんなタイプは中途半端が一番良くない。  作家シリーズから今回のモチーフに転向してみて、幼い頃を思い出すことが多いが、物心ついてからずっと終始一貫、創作時に溢れる出る快感物質による多幸感に取り憑かれている。私の紆余曲折は、その物質をより多く溢れ出させるモチーフをいかに手掛けるか、それに終始した一生ということになりそうである。この物質は溢れている間はどんな不安感も雲散霧消、笑っていられる魔法の、かつ悪魔的物質である。後は”人生は夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる” その夏休みを出来るだけ終わらせないため、月一のクリニックはサボることなく通っている。



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熟考の末、決めたライナップ、その2日後に急遽ラインナップ外で始めた布袋も、担ぐ袋を作れば後は仕上げと着彩である。となると胴体がないのが豊干禅師と仙人2人'である。昨年中にそこまでできているはずだったが。動物園は閉鎖中のようだし、虎や鯉の背中など想像が付くので、虎と鯉を撮る前に先に豊干禅師と琴高仙人を作ってしまおうと思う。この3人を作りながら寒山拾得の頭部の制作に再び取り掛かりたい。昨年の今頃、寒山拾得を制作といいながら策が全くなく、金魚を眺めてただ待とう、と。その後、虎渓三笑図など回り道をして、この辺りで、と寒山と拾得の頭部を作ってみたが、どこかで半信半疑、制作中の画像をブログに載せることはなかった。そうこうして子供の頃知った一休禅師を作り、仙人を再開しようとしたら急遽布袋尊を作ってしまった。おかげで寒山拾得といえば、風狂というイメージに乗れたし強化されたように思う。この一休〜布袋の流れは計画的にそうしたことにしておこう。



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風狂  


布袋尊、予定通り乾燥に入る。後はいわゆる頭陀袋こと堪忍袋を作るのだが、持ち歩くようなサイズではなく、大きなクッションのように、その上に乗っているようにしてみたい。 布袋は元々実在した風狂僧だ、というところが良い。寒山と拾得という正体不明の存在に惹かれた原因は、その風狂味だろう。一休宗純を作ってみて、改めてそう思った。その流れで引き出しの中の、没になった丸顔の円満な首と目が合い、急遽作ることになった。 最近、装束、佇まいその他、興味を持って宗教番組を観ることがあるが、禅の中でも重要とされる風狂について触れられることは皆無のようである。



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布袋は実在した僧で、頭陀袋を常に抱え托鉢する姿から布袋と呼ばれるようになったが、亡くなった時に謎の言葉を残し、弥勒菩薩の生まれ変わり説が生まれたそうで、紆余曲折の後、七福神の一人となった。托鉢で得たものは食べてしまうが、残った物は何でも頭陀袋に入れてしまう。 布袋こそ、その描き方は様々で、先に一休和尚で酔臥図を作っていなければ酔っぱらっている所を作るところである。持っている物は出したくなるし、知っていることはいいたくなるものである。予定としては例によって大きな腹を出して、必要以上に大きな頭陀袋をクッションのように、その上でゴロンとしている。酔臥図でなければ、ということで、『布袋満腹図』としたい。明日には頭陀袋を除いて乾燥にはいれるだろう。



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立体化をほぼ完成させた臨済宗開祖臨済義玄だが、元々穏やかに描かれ続けた肖像を中国のある僧が画工に険しい表情の絵を描かせ、それが日本に伝わり、また描き継がれたそうである。長谷川等伯が描いた、曽我蛇足作と出どころが同一の肖像画を見た。私は研究者ではないし、私がその気になったということが大事であり、年代を比べてどちらが先だったか、などにはもはやか気もない。作る私がそうなので、読者の方々が関心があるとは思えず。    取り敢えず確かなのは、誰も本人に会ったことはなく、出どころ一つの肖像をどう扱うかである。私は絵師の皆さんと違って立体化し、さらに大口を開けさせ”喝”を強調し、頸動脈とこめかみ、額の血管を浮き立たせた。こめかみの血管は緊迫感の演出のため、ジャズシリーズにしばしば用いた。効果のほどは、赤塚不二夫の漫画で子供の頃から良く知っている。



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布袋を作りながら、今回のモチーフは、自由度、創作の余地など考えると、なかなかのモチーフに至ったものである。私の場合、これを学ぼう、と励んだ物はほぼ役に立つことはなく、知らないうちに入り込んだ物に限って役に立っている。こういうと怠け者の言い訳のようになってしまうのだが、早い時期に気が付いたのは幸いであった。おかげでブルース・リーにいわれるまでもなく、”考えるな感じろ”は知っていた。考えていたら布袋様を今日作っていない。私が持っているが、出す機会がなかった物をこの機に乗じ、かこつけ出すことが出来るだろう。 布袋は、抱えている頭陀袋は、施し物を全て入れている。ナマモノだろうと構わない。おそらく腐った物だろうとお構いなしだろう。後に七福神の一員となった布袋は、民衆の壁や床の間で、どんな災いでも受け入れる神様として祀られたのだろう。方向としては、満腹でグウタラして笑っている肥満体のオジサンを作れば良い。その点に関しては私は熟知している。



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一昨日のブログに、新春にあたり、熟考の末の個展用ラインナップを書いた。スケジュール的に厳しければ仙人3人は今回は見送りもやむなし、といっていたはずが、本日何を作っているかというとまさかの『布袋様』である。こういうところは自分を全く信用しておらず、タイトルも”予定は未定”としていたが、それにしたって舌の根も乾かぬうち、とはこのことである。 引き出しの中に丸い笑顔の首があった。鯉に乗り水中から現れる琴高仙人を見守る弟子の一人のつもりだったが、琴高仙人だけにしたので、出番はなくなっていたのだが、久しぶりに目が合ったとたん。 布袋の正体は様々な説があり定かではないが、やはり風狂の徒といえるだろう。いつも抱えている頭陀袋に関して、ちょっとしたアイデアが湧いたのも背中を押した。もう一つ。40年の間、無表情な男ばかりで、笑顔の人物はジャズ、ブルースシリーズ時代に5人ほど作ったろうか。それがこの一年ですでに4人作っている。布袋を含めれば5人となる。



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今回のモチーフを手掛けるには様々な理由があったと思うが、寒山拾得を何故、いつその気になったのか、本人がわからなくなっているくらいで、気の利いた理由を思い付かないが、人間の種々相を描くに、こんな創作の余地があるモチーフはないのではないか。それが大きな理由であるのは間違いがない。おかげで昨年の一時期、肝心の頭部が毎日のように出来てしまった。それというのも、元々何かを見ながら作るのは幼い頃から苦手だったのに、実在した人物を作るようになり、写真を見ながら作り続けた鬱憤がそうさせたのは間違いない。 最初は架空のジャズ、ブルースマンを作ったのが初めだが、その頃は頑なに人間を観察するのを避け、自分のなかにある物だけで作った。事実と違っていても、そう思い込むには理由があると思ったし、一度入った物は二度と出て行かないことを恐れていた。しかしもう後戻りはできない。同じ架空の人物を作っても、40年前とは一味違った物になるだろう。問題は、コツを覚え慣れた頃に夏休みのアルバイトは終わることになっており、そのためには、せいぜい体調に気を付けなければならない。おそらく糠漬けのおかげであろう。すこぶる腹の調子は良い。

 



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『虎渓三笑図』『寒山拾得』『四睡図』『達磨大師』『慧可断臂図』『臨済義玄』『初烏』(一休宗純)『一休和尚睡臥図』『鉄拐仙人』『蝦蟇仙人』『琴高仙人』希望としては、ここまで持って行きたいところである。中には3人登場する作品もあるし、四睡図に至っては人間3人に虎が一匹である。それでも出来れば寒山拾を増やしたい。そのためには今回は、仙人の全面カットも考えなくてはならないかもしれない。龍虎図などと呑気なことをいっていたのは誰だ? 虎渓三笑図などは虎渓の風景が欠かせないし『慧可断臂図』も積雪に洞穴など不可欠である。しかし逆に、陰影の無い世界では無背景も可能である。例えば竹竿にシャレコウベ、横目でこちらを見ている一休禅師、曽我蛇足作の立体化、臨済義玄は無背景の予定である。いずれにしても、こんなに被写体の数が多いことは初めてなので、こうしてチェックをし、虎渓三笑の教訓を忘れてはならない。


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3日  


結局賀状用一休は外に出ず簡単にスマホで済ます。これは石塚式で撮るつもりで作ってあり、強度的に外へ持って撮影するように出来てはおらず、竹竿、しゃれこうべ共に外に持ち歩いて手持ちで撮るのは無理であった。    私の頭に浮かぶ程度の物は、ほぼ、そのとおりに作れるようになったが、主成分はあくまで写真である。豊干禅師が乗る虎は、猫を撮影して虎に加工するというアイデアを思いついたのは何年も前だが、自分の飼い猫ならともかく思った通りに撮らせてはくれない。特に『四睡図』は寝ている所が必要である。であれば動物園の野生味に乏しい虎を撮った方が良さそうである。そして今度は逆に虎に猫の皮を被せるのはどうか。そもそも主役が作り物なのだからかまうことはない。

 



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