明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

2日  


一休和尚着彩終わる。とりあえずSNSの年賀状用で、合成処理などせず、そのままただ撮影するつもりなので終わった時点で日が陰ってきて止める。明日ベランダで撮影しようと思うが空が狭い。一休じゃあるまいし、人形とはいえ竹竿に骸骨付けて正月の街をウロウロしたくない。昔だって、街中で撮影した頃は、誰かに付き合ってもらうことが多かった。横の人物のためにこんなことをさせられている、という顔をして撮影した。 臨済義玄の顔の仕上げ、久しぶりに見ると直す所が多い。私が変わったせいもあろうが、いつ見たって同じように見えるまでは続けなければならない。忘れていた義玄に関する文章が出てきた。そうだった。中国では、もともと穏やかな義玄像が描き継がれてきたが、ある絵師に激しい表情の義玄像を注文し、それが広まり、日本に伝わり、曽我蛇足もそれを摸写したらしい。ネットで検索する程度では情報は得られない。いずれにしても責任は曽我蛇足に。



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子供の頃、どこかの王様に石の塔に幽閉され、そこで一生、好きなことだけやっておれ、なんていうのを夢見ていた私は、このままではロクなことにならない、と某施設で検査などの目にあったが、ご存じのように矯正不可という結果となった、なったけれど、おかげで罪悪感のような物が残り、なので世間が休みの時は、ここぞとばかりにすがすがしく制作ができるのである。なので正月は父が亡くなるまでは実家にも帰らなかった。しかしこのままでは生きてはいけないだろう、と陶芸作家を目指していたのに、自分を変えようとロクロもない、製陶工場に二十歳の時に就職した。 初めてそのままで良い、といわれた気がしたのは、その頃、澁澤澤龍彦集成の一巻エロシティズムを読んだ時で、無遅刻無欠勤であったが、我に返ってしまって元の木阿弥となった。 何を長々と書いているかというと、小学四年で感銘を受けた一休和尚が、シャレコウベを竹竿の先に掲げ〝門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“なんて一休和尚を制作する、元旦の幸福という話である。



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