帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

キンピラゴボウ と 手造り料理

2012年04月20日 | 研究-教育・育児

だいぶ前の事ですが、娘がテレビを見ていて呆れていた。  ん???

 

「どうしたん?」と聞くと、なんでも番組に出ていた女の子(大体25歳位らしい)がキンピラゴボウを

造れず(作り方を知らない?)、スーパー等で惣菜を買ってくるとかなんとか? らしく、

それに対してピキピキ反応。    お~怖!

 

17歳の我が娘ですが、殆どの家庭料理はつくれ、最近ではもっと請った料理を研究したり、工夫したりするようになってます。

そういえば少し前に食べた、ほうれん草とホワイトソースをベースにしたパスタは「最高の味だっな~」 なんて思い返したりして(笑) 

 

娘は、どちらかというと料理の基本を僕の方から教わっています。

夫婦共働きの我が家であっても、”食事を作るのは女の仕事”という絶対に崩さない僕の基本姿勢のうえに家は成り立っておりますから、

普段僕がキッチンに立つことはありません。

ただ、家内が病気、旅行、仕事で遅くなる等、どうしても駄目な場合だけは僕が分担する。

 

女性というのは不思議なものでして、「なんで手伝わない?」と娘に文句を言うのに、やり出したらやり出したで面倒くさい?のと邪魔?なのかしれませんが、

不可解なことを結構やります    むむむ? (爆笑)

まあ、忙しいから手早く終わらせたいのもあるのでしょうが、手伝おうとするその姿勢だけで満足してしまうのか?は分りませんが、

どこの家庭でも話を聞くと似たようなものらしい・・・・

 

そんなわけで、僕が作る時は、割と時間に余裕をもってやっていた事もあって、娘を呼びつけては包丁を持たせつつ、調理の基礎を一つ一つ教えながら

一緒にやってましたね。 

と言っても、これはもちろん、親としての完全強制。

 

なぜなら、将来 子供と伴侶に旨い物を食べさせていなけばならない以上、幼い頃からこうして基礎を教え、

高校生になる頃には完全に出来るようになっていなければ、ただただ親として恥ずかしいからだ。   理由はそれ以外に無い。

 

その為に「女の仕事だと言って強制するのか?」と もしフェミニズム丸出しの男女同権団体なんぞから問われれば、「そのとおりです!」 ときっぱり答えます。

これはトイレ掃除、部屋の片付け、清掃、生活のすべてに共通するうちの子育てです。

 

娘に包丁を持たせ始めたのは小学校低学年の頃からですが、何度も指を切りつつも(僕は絆創膏貼らせてそのまま調理続行を強制します)次第に腕を上げていき、

今では家内がいないときの料理人?になってくれています。

 

故に娘は、男の料理&調理方から入り、そのあと(いっぱしに出来る様になってきた頃から)家内が細やかなことを教えるという、少し変わった方法で覚えている。 

高校生時代に飯場の飯炊きバイトをして基礎を叩き込まれて以降、さまざまな食事を子供たちに出していましたが、僕の造るのは材料がいちいちデカイし、

中身をガンガン入れて、見てくれより味とボリューム重視。

そんなわけで、娘は僕と家内の良いとこ取りという感じかな~。

 

こうした娘の姿をみて嬉しく思う時があります、それは外で(学校含む)なんらかの調理するようなことが事が有ったとき等ですが、

「同性の子が包丁をもっておたおた戸惑っている事が多いのに、自分は何の問題もなくスムーズにこなせる」、 という話。

友達から聞かれれば即座に教えるし、そうでなくて出来上がってしまった友達の料理を味見し、足らない部分が有れば即座に調整できる。

「そんな事が、そつなく出来てしまう」ということを話してくれた時など。

 

「でも、逆にそれで困ったことがあるだろう?」と聞くと、明らかに間違ったやり方をしていて、しかも、自分の話をなかなか聞いてくれずにやってしまった料理フォロー

というのが大変らしく、相手を傷つけない為に大変な神経を使うとも言っています。    女性は本当に面倒ですから・・・・

 

例えるなら、マッシュポテトを作る場合等ですが、これはまず先に皮をむき、出来るだけ細かく切って電子レンジ加熱するのが短時間で仕上げるコツなのですが、

友達はそのまま皮ごとお湯で茹でてしまったりして・・・・  「う~ん」

 

それだと茹で上がるのにやたらと時間がかかるのと、その後にあつあつ状態のジャガイモ皮を手で剥く事になってしまい、アッチチ!アッチチ!となり、

当然に少ない調理時間のなかでは間に合わない・・・

 

ジャガイモは皮をとるか残すかで風味が当然に変わって来るわけですが、オーブンなどで多少の焼き目をいれたポテトを肉料理などに添えて出す場合等には、

香ばしさとスパイスが重要なので皮は剥かない。

しかしながら、マッシュポテトの場合はそうしたことは全く不要なので、とにかく早く火を通し、熱々状態のまま適量なミルクをまぜつつ温度を落として行き、

同時に塩をベースに味付けしていく。

上にかけるソースの種類により、スパイスを変えるわけだが、友達はそうではなかった・・・・

 

でも一生懸命やっている友達の姿に、「間違っている!」と横槍をいれるのはいかがなものか?と

できるだけ、自然に悟ってもらえるように話を展開したりするらしいのですが、やっぱり難しいようでして・・・ 

 

他にも、後片付け等で、油物、それ以外の食器を全部混同して洗ってしまったり、二人作業でやる場合は片方が洗剤で汚れを落とし、

もう一人がすすいで、水を切っていくというのが出来ず、皆でゴチャゴチャになってやっていたり、と

 

そうした際には、途中からその仕事を自分で買って出て、友達が気が付くのをまってみたり(大抵は男の子のほうが効率のいい方法にすぐに気が付くそうです)。

「友達(とくに女の子)の持つ自尊心とプライドに触れることなく、分ってもらえるようにするのが本当に難しい」と、言ったりしています。

 

幼い頃より、人前にシャシャリ出るな、一歩下がったところから補佐しろ、偉ぶったり見せ付けるようなまねは厳禁。

そうしたポリシーで育ててきた娘は、相手にはっきり言うことを避けるために、ある面で大変なことが多いようです。

 

ただ、こうした事は、世の中に出て、見る人が見れば必ず分る。

 

能力の高い男性ほど、女性をよく見ていて、当然それに応じた相手を選ぶわけですから、最低限の気配りと出来ねばならないことが出来ないようでは、

その程度の男としか結ばれないわけです。

 

人間関係に理想という言葉は馴染まず、あるのは現実だけ。

父親として、”当たり前の事が、当たり前に出来るように強制し、社会という型にはめて子供を育てねばならない”、なぜならそれを基礎として型を破りつつ

さらには上手く利用しつつ、自分を伸ばすことができるようになるのですから。

 

「えっ?」、 「型にはめたり、強制してはいけません! だって?」、 バカを言うな、”何一つ出来ず、社会に適合できない非常識人間を育ててどうするというのだ!?” 

「そんなもの糞くらえだ!」