「必修無視救済」真の解決策

2006-11-02 03:12:15 | Weblog

 全国的な制度と化していた必修無視・受験優先授業によって生じた生徒の単位不足回復策として文科省が与党に示した案に関する記事が11月(06年)1日の朝日新聞朝刊に『必修漏れ救済 一律70回 公明反発 補習上限50回の軽減案も』の見出しで出ている。

 必修を必修としなかった授業方式は学校側によるものであっても、生徒の要望を受けたものであっても、意図的行為なのだから、マスメディアが「必修漏れ」と表現するのは、無意図的偶然性を意味して、厳密に言うなら不適切である。日本社会に蔓延している学歴主義の底が割れた今回の騒動でもあったわけである。

 あるいは必修無視といったゴマカシの上に現在の学歴主義が成り立っていたとも言える。学歴主義とは点取り主義をも意味する。

 その記事の最後に、「『一方で自民党議員からは生徒は悪くのないだから、補修は必要ない』などと意見が出された」と出ているが、必修無視に生徒の要望が入っていたとしても、学校・生徒にそう仕向けた元凶は日本の社会をかくまで学歴社会とした日本の先人たちと、特に戦前の「お国のため」のスローガンを学力に変えたような最近の学力向上、学力向上と、それがすべてであるかようにバカの一つ覚えに繰返す今の日本の大人たちにこそ(勿論政治家・官僚も含めて)責任はあって、ある面学校・生徒は学歴主義の被害者でもあるのだから、補修など必要としないのは当然の措置であろう。

 しかし政治家・官僚の多くは「ルールはルールだ」と、さも自分たちはありとあらゆるルールを守っているかのように見せかけるために他人にはルールを厳しく求める巧妙な立ち居振る舞いをオハコとしているから、「補修は必要ない」とすることはしないに違いない。

 いじめ問題でもそうだが、学校や教育委員会をさも悪者であるが如くに糾弾するのは、糾弾することで自分たちを正義の立場に立たせることができるからで、そのように正義漢を装うことで自分たちの得点とするためであろう。こういった人間はマスメディアに顔を出す人間に特に多い。

 勿論学校・教育委員会に非はないとは言えないが、非があるとするなら、自分たち政治家・官僚にも同じように非があるとしなければならない。文科相と文科省は教育委員会と学校に対して管理不行き届きの使用者責任があり、内閣を代表・総括する内閣総理大臣は文科相に対して、同じように管理不行き届きの使用者責任、あるいは任命責任を有しているはずである。

 いわば代々の文科相および文科省、そして両者を管轄し内閣を指揮する代々の内閣総理大臣が共同して現在の学校の教育体制と教育委員会の管理体制を見逃してきた共犯者でもあると言えるのである。

 記事は文科省が示した「一律70回案」に対して、公明党が70回不足の生徒は何ら救済に当たらないから、そのような生徒を対象に50回に抑えるよう求めたといった内容になっている。

 「ルールはルールだ」ということで補修を受けなければならないとなったなら、受験に関係のない授業では出席だけしてその授業の教科書は広げるが、形式だけのことで、隠れて受験に関係する科目の勉強にいそしむといったことを大抵の生徒がしているだろうから、同じ形式で補習をやり過ごせばいい。テストで授業の成果を問われるだろうが、教師は必修無視の自分たちの責任も考えて、そこは阿吽の呼吸で、テスト前の授業で、テストに出る問題の大体のところを教えれば、必修無視の責任をある程度軽くすることができするし、生徒の救済にも役に立つ。プロ野球の監督のブロックサインのようにサインを出すのである。

 40年以上も前の高校の授業でも、中間試験前とか期末試験前になると、受験に関係のない科目では教科書をその学期で教えた最初まで遡って、「ここは重要だから、頭に入れておいたほうがいいかな」とか、「ここは役に立つところだな」と復習の形で再解説して、それとなくテストに出る箇所を教えてくれる教師もいた。我々生徒の方は教師が読み上げた箇所に急いで下線を引いておいて、その箇所だけを一夜漬けで丸暗記していく。いざ試験の当日となって裏返しで配られたテスト用紙を開始のベルと同時に表返しにしながら素早くザーッと目を通すと、物の見事に解説した箇所が問題となっていた。

 但し、1問か2問だけ、解説しない箇所が問題に出た。それもかなり難しい問題で、それができないと授業時間他の科目の勉強をしていた生徒とバレることになるのだが、教師に分かってしまうことは生徒にも分かっていたことで、受験優先の生徒にしても勉強嫌いな生徒にしても、そんなことは頓着しなかった。お互いが分かっている。そこが阿吽の呼吸の最も阿吽の呼吸たる所以である。

 現金なもので、そういった授業に限って居眠りしている生徒は一人としていないし、ヌード写真が掲載されている週刊誌を回し読みしている生徒もいなかった。

 ときには受験科目に入っている授業でもそういったことをする教師がいた。テストの成績の全体的な底上げを図って、教師自身の授業技術を証明する目的もあったろうが、大学受験で最終的に暗記の実力が試される進学希望の生徒にはそこでテストの点を上げたとしてもある意味猫に小判であって、真に役に立ったのは勉強嫌いな生徒であったろう。

 あるいは学歴主義に意味を見い出せなくて、その反発からテストに出る問題を教えているということもあったのかもしれない。

 クソ真面目にやることはない。政治家・官僚だってクソ真面目にはやっていないのだから。下、上を見習うべし。世の中は巧妙に立ち回る人間こそが有利となる仕組みとなっている。「真面目に取り組む人間が損をしないような世の中」なんてことは嘘っぱちもいいとこで、安倍首相の歴史認識に関わる巧妙な立ち回りを見習うべし。さすが一国の総理大臣となっただけのことはある。

 自民党の除名した郵政造反議員を選挙対策のために復党させようとする巧妙な立ち回りは人生生きていく上で参考となる、状況に応じて態度を変える節操替え・状況主義ではないか。来年夏の参議院選挙で不利な戦いを強いられないようにと消費税増税隠しをやる巧妙な立ち回りは物の見事なカモフラージュ作戦ではないか。うまく立ち回ってこそ、人生の勝者となれる。

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