言葉を持った主体的・自律的存在のマラソンランナー

2008-02-05 20:39:00 | Weblog

 走るのが好きで、中学校の部活に陸上競技部を選んだ。短距離やフィールド競技よりも長距離がいい成績が出る。長距離に特化して高校は1万メートルや駅伝、大学は駅伝とマラソンとの掛け持ちで練習を積み上げ、それなりにいい成績を残したお陰で、大学卒業前から企業の陸上部から卒業後の進路にと誘いを受けて社会人としてもマラソンと駅伝の練習に打ち込むこととなり、国内外の大会に出場して将来のオリンピック金メダル候補として嘱望され、国内の選考マラソンで優勝、ついにオリンピック代表の座を獲得する。

 金メダルの期待を背負い、自身の名誉のため、多くは日の丸を背中に背負ってと考えて日本のために金メダルを目指す。

 これはマラソンだけではなく、オリンピックに選手として選考された者の殆どが当たり前のように進む道筋であろう。目標は金メダル。金メダルが駄目なら、せめて銀メダルか銅メダル。目標は高いところに置き、それを目指して苦しい練習を乗り越えていく。

 そう、目標は金メダル。一点集中主義の機械性に自らを委ねる。自らの全存在を賭ける。練習と結果のみ。そのこと以外の「言葉」は必要としない。

 だが、今日2月5日の『朝日』夕刊の記事がそうではないマラソンランナーがいることを教えてくれた。

 男子マラソン世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)――彼は言う。
 
 「マラソンと1万メートルどちらに出るかはまだ決めてない」そして、「北京で2時間強も外で走るのは健康によくない。北京五輪組織委員会はマラソンのために対策をとるべきで、そうでなければ走るのは困難だ」

 1万メートル金メダルの栄誉とマラソン金メダルの栄誉とでは雲泥の差があるだろ。人々の記憶にも違いが出てくる。1万メートル優勝者は忘れ去られても、マラソン優勝者はなかなか忘れられない。多くの人の記憶に長くとどまる。

 だが、ハイレ・ゲブレシラシエは単純機械的にマラソンの金メダルを目指さない。例え結果的にマラソンに出場するとしても、アスリートとして自己が持つ「言葉の影響力」を利用して北京でたった「2時間」走ることが如何に危険か、それ程にも空気が汚染していることを世界に知らしめ、返す刀でその対策を北京当局と中国政府に要求している。

 これは一見したところではたいしたダメージを与えているようには見えないが、後で効いてくるボクシングのボディーブローのような圧力となるに違いない。もし中国当局が無視したら、いつどのような形で当局の無能力・放置姿勢の批判となって撥ね返ってこない保証はない。少なくとも現在以上に空気汚染対策を緊急に講じる姿勢を見せないわけにはいかない。

 ハイレ・ゲブレシラシエは自己と自国の名誉を背負って機械的に金メダルを目指すことでそのこと以外の「言葉」を取り立てて発しない機械的存在で通すのではなく、北京の空気汚染対策を求める自らの「言葉」を発することで、北京の空気汚染がどれ程であるかを知らしめただけではなく、一般アスリートの機械性から離れた主体性・自律性を持った存在であることを証明したのではないだろうか。

 ≪ゲブレシラシエ、北京五輪マラソン欠場も≫

 <男子マラソン世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が4日、訪問先の北京体育大学で、「マラソンと1万メートルどちらに出るかはまだ決めてない」と語り、同五輪でマラソンに出場しない可能性を示した。
 ゲブレシラシエは北京の空気の汚さと高温多湿の気候がマラソン出場を迷う原因だとして「北京で2時間強も外で走るのは健康によくない。北京五輪組織委員会はマラソンのために対策をとるべきで、そうでなければ走るのは困難だ」と話した。北京五輪自体の欠場は否定し、2カ月以内にどちらに出場するか決めると明らかにした。
 また、世界記録更新については、「記録には天気などの条件がそろう必要がある。北京五輪では、特に長距離の記録更新は難しい」と話した。>・・・・

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