2月24日日曜日「NHK日曜討論」イージス艦漁船衝突事故。
岡本行夫国際問題アドバイザー「石破大臣はよく対応していらっしゃると思いますが、信じられないことが多すぎる。なぜあのときまで発見できなかったのか。発見した最後の段階に於いても、私はよく分からないが、イージス艦の操縦に詳しいアメリカ海軍の関係者に聞いたら、普通は右と左のプロペラを逆に回して舵を一杯に切れば、10ノットの速度なら避けられたんではないか、どうしてしなかったのかと首を傾げていたが、それができなかった事情があったのでしょう。ただ、石破大臣にお願いしたいのは、石破大臣の怒りというものをもっと乗組員たちに見せてくださって当然じゃないかと思います。そうではないと、自衛隊全体があのようなお粗末体質ではないかと思われてしまうんじゃないでしょうか。あの「あたご」の操船、今度事故に至った経緯というのは我々の常識から言ったら、ないことなんだと、なぜそんなことが起こったんだという、それをおっしゃっていただきたいと思うんです」
石破「最新鋭のイージス艦です。ですから、そのことに誇り、国を守るという誇り、というものがあったんだと思う。ただ、それが、誇りが驕りに変わっていなかったかということですよね。やはり生命を賭けて国の独立と平和を守る、そういう自衛隊です。圧倒的多数の隊員がその思いで日夜一生懸命歯を食い縛ってやっているんだけれども、その誇りがもし驕りに変わっている面があるとするなら、それは断固として改めなければならないと思います」
戦前、優越日本民族・天皇の大日本帝国軍隊は国を守る組織どころか、軍事力も国力も工業力も数段格上のアメリカを相手に八紘一宇の思い上がった世界制覇を夢見て無謀な戦争を仕掛け、世界制覇どころか、国を破壊し、内外の国民の生命を破滅する組織としての役目しか果たさなかった。
自衛隊だけが国を守っているわけではない。軍隊は国を守る一組織に過ぎない。そして戦前の例を見るまでもなく、国を破壊し、平和維持の役目を裏切る場合もある。
政治も外交(=他国との関係)も領土保全と平和の役目を担っている。企業も富を生み出すことで社会の破綻を防ぎ、それは平和や国の守りにつながっている。国民も労働を手段に企業が富を生み出す原動力の役目を果たし、労働によって得た報酬の中から納税の形で政治や外交による国の平和の維持経費・社会維持経費提供に貢献している。
基本は社会の維持である。社会が維持されなければ、国家が維持されても意味はない。その社会とは自由と平等と生活を保障する民主主義の原理に貫かれていなければならない。
いわば国は政治や外交(=他国との関係)、企業、国民、自衛隊の総合力によってその姿が表される。自衛隊だけが「国の独立と平和を守」っているわけではない。自衛隊だけが「国の独立と平和を守」っているのだといった「誇り」に支配される自己特別視自体が既に「驕り」となっている。
自衛隊が常備している兵器及び自衛隊員の給与は国民の税金で賄われているのである。国民主権という立場からも、自衛隊のスポンサーは国民である。自衛隊が「国を守っている」という考えではなく、国民が自衛隊を「国を守る」一つの組織として機能させていると解釈すべきだろう。それが唯一軍隊を暴走させないための真のシビリアンコントロールではないか。
単細胞な余りこのことを理解できずに陸海空三軍の自衛隊を管理・監督する石破防衛大臣自身が「生命を賭けて国の独立と平和を守る、そういう自衛隊です」と自衛隊のスポンサーである国民を差し置いて自衛隊を国を守る組織として最上位に置く僭越で以て自衛隊員の驕りを誘発しかねない妄言を吐いている。
文民でありながら、ある意味シビリアンコントロールを自ら破っているのである。このことの余りにも愚かしい罪一つを取っても辞任に値する。
また、今朝のテレビで事故当日の19日夜に石破防衛相に見張り員の漁船視認が当初2分前としていたのを「12分前」だったと訂正報告が既になされていたにも関わらず、20日夕方の自民党合同部会で防衛省幹部が「2分前」と説明、25日になって防衛相事務次官の増田なる男が防衛省での記者会見で「12分前を知ったのは20日昼の時点」だと時間をずらして発表。増田某は「記憶が曖昧だが」と断っていると弁解しているが、行方不明者者が2名出ているときに「記憶が曖昧」は許されないことだろう。
石破防衛相への報告については「12分前」の報告どおりに発表しなかったのは確認するのに手間取ったと言っているが、「12分前」という報告共々その後の「確認」という経緯自体を発表すべきが「情報公開」というものだろう。
「12分前」は政府に不利となる、出さないで済むなら出したくない情報である。核持ち込み密約だってする政府である、そこに隠す意図が働いたしても不思議ではなく、そう疑うことは十分にできる。
石破は日曜日には複数のテレビ討論番組に出て、情報を隠しているわけではない、包み隠さず話せ、すべて正直に話せと伝えてあるといったことを喋っていたが、情報を含めた動静自体を有態(ありてい)に公開していなかったことは「包み隠さず」の言葉を自ら裏切る薄汚い情報隠蔽そのものであって、この罪を加えるなら、大臣辞任だけではなく、国会議員でいる資格もない。