右翼の恫喝に屈したプリンスホテル/たいしたことではないこととする恐ろしさ

2008-02-06 11:55:52 | Weblog

 日教組が毎年開催している教育研究全国集会のうちの全体集会が会場としていた新高輪プリンスホテルに使用を断られて中止に追い込まれた。そのイキサツを「信濃毎日」の2月3日インターネット記事≪集会拒否 憲法の精神に反する≫で見てみると。

①日教組は昨07年5月に会場使用の契約を新高輪プリンスホテルとの間で結んだ。
②11月になってプリンスホテルは右翼団体による妨害行為の可能性などを理由に解約の申し出。
③日教組は裁判所に解約を不当とし会場使用を認めさせる仮処分の申請。裁判所側は東京地裁、東京高
 裁共に申し立てを認めてホテル側に解約は不当との仮処分を決定。
④しかしホテル側は裁判所の仮処分を無視して、会場使用を認めず、日教組側は全体集会を中止するに
 至った。

 新高輪ホテルの使用拒否のイキサツと理由が2月3日付(08年)「読売社説」≪ホテ使用拒否 司法をないがしろにする行為だ≫に詳しく載っている。

①日教組がホテル側に会場使用を申し込んだ際、例年、教研集会の会場周辺では右翼団体の街宣活動が
 あり、警察に警備を要請していることを伝えた上で、契約を結んだ。
③解約理由――契約後、過去の例を独自に調べた結果、100台を超す街宣車の拡声機による騒音や大規
 模警備で、他の利用者や住民に多大な迷惑をかけることが分かったから。

 この種の右翼の妨害は前例がいくつもあり、そのことに無知であったわけではないだろう。大人であるなら、過去の例を調べるまで無知であったは許されない。いわば過去の例を調べるまでもなく既知の事実として、つまり右翼の妨害を覚悟して契約を結ぶ社会的常識上の責任を負う。

 ところが契約後、右翼から電話や手紙、メール等で様々な威しがあったに違いない。どちらに従うのが自己利害に適うか打算を働かせたのち、「他の利用者や住民に多大な迷惑をかける」云々を切札とし(「私たちも商売ですから」とでも言ったかもしれない。)、裁判所の仮処分の決定をも撥ね返す強い意志で会場使用を断ったといったところだろう。

 尤も仮処分をも撥ね返す強い意志とは右翼の要求に従うことに向けたそれ以上に強い意志を背景として生み出された意志であろう。逆ということはあり得ない。例えホテル側がそういった経緯を否定したとしても、右翼の威嚇や妨害の影(=過去の例)に怯えた事実は拭い去ることはできない。憲法が保障している言論の自由、集会の自由、思想・信教の自由を右翼の妨害を避けるために犠牲にしたのである。

 しかし「100台を超す街宣車の拡声機による騒音や大規模警備で」生じる「他の利用者や住民に」かける「多大な迷惑」は民主主義の社会に生きる人間として乗り超えなければならない憲法の保障に対する国民としての義務と責任であろう。

 そうでなければ憲法の保障は有名無実と化す。新高輪プリンスホテルは憲法の保障を有名無実化することで、日本国憲法そのものを蔑(ないがし)ろにしたのである。

 このことは日本国憲法と民主主義に対する重大な犯罪ではないか。尤も日本の民主主義はホンモノでないということなら、民主主義に対する重大な犯罪という告発は取り下げなければならないが、日本国憲法の条文に違反する犯罪である事実は残る。

 だが、日本の著名な企業が犯した重大な犯罪であるにも関わらず、新聞、テレビ、特にテレビのワイドショーはどれ程に取り上げたのだろうか。少なくとも中国の農薬入り餃子と同程度に取り上げていい問題だと思うが、取り上げたのか取り上げなかったのか、一度も目にもしなかったし耳にもしなかった。取り上げたとしても事実をそのまま伝える通り一遍の取り上げ方をしたのではないのだろうか。どのチャンネルを回しても中国製餃子は大仰な言葉回しで放送していたが、偶然なのか、新高輪プリンスホテルが犯した基本的人権犯罪は取り上げていなかった。

 それ程にも日本人の意識に反応しない出来事なのだろうか。だから日本の民主主義は民主主義の衣装を纏ったに過ぎないニセモノだと言われるのかもしれない。

 中国餃子問題に関しては舛添厚労相が製造元の「天洋食品」の全製品を食品衛生法に基づいて輸入禁止措置を取ることを検討するとしていたが、これは国家機関による不買活動そのものを意味する。

 だが、プリンスホテルに対しては文部科学省の銭谷真美事務次官が「会場の理由で全体集会を中止せざるを得なかったのは残念。一般論として、法治国家である以上、司法決定は尊重されるべきだ」(≪日教組の教研集会終わる プリンスホテル会場使用拒否で文科次官も「司法尊重を」≫MSN産経ニュース/2008年2月4日)と、日本国憲法に定めた基本的人権規定に反する重大な犯罪であることは抜きにして、民法に関わる「一般論」を披露するにとどめる事勿れな対応をしただけで、何らかの懲罰を示しもしないし、中国餃子不買活動に相当するプリンスホテルに向けた不利用活動にしても誰も訴えもしないし、誰も宣言もしない。

 江戸時代、最高権力層に所属する日本の誇り高く最高の品格を備えたサムライは自身に無礼を働いた懲罰として農工商の被支配層の人間に対する「切捨て御免」が許されていた。このことは被支配層の人間にとって、少なくとも表向きは「切捨て御免」は当然のこととして受け止められていたということである。

 プリンスホテルは右翼の威嚇に屈して、少なくとも威嚇の影に怯えて「司法の決定」を無視し、思想・信教の自由、集会の自由、言論の自由等の憲法の保障に反する基本的人権犯罪を犯しながら、社会的糾弾を何ら受けずに何の支障もなく企業活動を存続させていく。そしてこのことは記憶の彼方に葬り去られて、何事もなかったこととなっていく。

 憲法の保障に関わるこのような推移は先程触れたように社会全体的に日本人の意識に反応しない出来事となっていることの反映であって、江戸時代の「切捨て御免」のようにある意味当たり前のこと――たいしたことではないこととなっていることの証明でもあろう。

 たいしたことではないから、マスコミも大騒ぎしないし、国民も騒がない。憲法の言葉よりもパン(=食べ物)の方が大騒ぎの対象となる。

 こういった事態は私自身には恐ろしいことのように思えるが、第三者から見たら大騒ぎのし過ぎなのだろうか。誰もがもう少し敏感になって、テレビでも取り上げ、不利用運動も起きて然るべきだと思うが、そういった方向に進む気配は一切ない。

 それとも騒ぎたくても右翼が怖くて騒げないということなのだろうか。その恐怖と戦ってこそ、真の自由と民主主義を知ることになると思うのだが、そうではないと言うことなのだろうか。

 戦前の国家権力や軍部の言論統制が戦後の右翼に許され、社会に横行するままに任されている。そのことにもう少し過剰にに反応してもいいのではないか。反応しないことが横行を許している最大の理由だろうから。
* * * * * * * *
 ≪集会拒否 憲法の精神に反する≫(08.2.3/「信濃毎日」)

 <日本教職員組合(日教組)が毎年開いている催しが中止に追い込まれた。東京で始まった教育研究全国集会のうちの一つ、全体集会である。
 会場に予定していたグランドプリンスホテル新高輪が使えなくなったからだ。いったん受け入れたホテル側が、後から拒否した。教研集会で会場使用をめぐるトラブルはこれまでもあった。中止は初めてのことだ。
 ホテルにも事情や言い分はあるのだろうが、今回の対応にはいくつか問題点がある。見過ごすわけにはいかない。
 まず、司法判断を突っぱねたことだ。ホテルは裁判所の仮処分決定に従わなかった。
 日教組とホテルが会場使用契約を交わしたのは昨年5月だ。その後11月に、ホテルは右翼団体による妨害行為の可能性などを理由に契約破棄を通告した。
 これに対し、日教組が申し立て、東京地裁は会場使用を認める仮処分を決めた。東京高裁も同じく使用を認めている。
 疑問なのは、ホテルの基本的な姿勢だ。なぜ契約が成立して半年もたって、集会が近づいてから解約を言い出したのか。やりとりを聞く限り、日教組側の落ち度はいまのところないようだ。ホテルは、利用者の納得がいくように、背景を含めてきちんと説明してもらいたい。
 企業も社会の一員である。法治国家の下、ルールを守らなければならないのは当然のことだ。イメージダウンは避けられない。
 重要になるのが憲法との兼ね合いだ。使用拒否は、憲法が保障する集会の自由にかかわる。
 右翼団体はこれまで、日教組が大規模な集会を開くたびに街宣車を出すといったやり方で妨害してきた。会場管理者や周辺住民はそれに悩まされながらも、警察などの助けを得て集会を実現してきた。
 今回のホテル側の対応は、これまでのそうした努力にも水を差す。利用者の安全、安心を考えるなら、警察や警備会社と十分連携し、混乱が起きないように努力すべきだった。ほかへの影響が心配だ。
 今回は教職員組合が対象だった。これが例えば、政府や政党ならばどうか。右翼団体が妨害する恐れがあれば、使わせないのか。ホテルの対応が異なるようなら、弁明しても通らない。国民の視線は厳しいことを自覚してもらいたい。
 いちばん責められるべきは、これまで集会を妨害してきた右翼団体である。忘れてはならない。
 全体集会は中止されたものの、分科会は開かれている。会合を最後まで無事に進めてほしい。

コメント (1)
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