「戦略的互恵関係」なるものを国益を守る利害闘争から見る

2010-11-01 09:46:33 | Weblog

 改めて「戦力的互恵関係」なる言葉の意味を確かめてみる。

 【戦略】「長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法」(『大辞林』三省堂)
 
 【互恵】「互いに利益や恩恵を与え合うこと」(『大辞林』三省堂)

 「戦力的互恵関係」とは、国家同士が長期的・全体的展望に立って相互利益・相互恩恵を準備・計画し、運用させていく関係を言うはずである。

 言葉通りに成立した場合、完璧な矛盾一つない理想の関係と言える。だが、如何なる関係も相互に利害を伴う。いわば如何なる関係も利害関係を形成していることになる。このことは利害が一致する関係もあれば、一致しない関係も存在すると言うことであろう。

 特に国家のように内部に複雑多岐に亘る利害集団、利害社会、あるいは利害関係を抱えるほど、内部の利害のみならず、外部世界との利害に於いても利害の複雑多岐に応じて一致・不一致が複雑多岐に亘ることになる。

 このことは為替一つを例に取れば理解できる。自国通貨が外国通貨に対して安くなれば、日本のような外需主体の産業構造の国ではより多くの利益を得るし、逆に高くなれば、輸出産業のみならず、国の経済自体が差額に応じて相当規模の損失を受けることになる。

 また、為替差だけではなく、物価の内外価格差によっても輸出入商品が利害を分けることになる。

 勿論、国内に於いても常に物価の価格差が利害を分けている。

 当然そこに利害と利害の闘争が発生することになる。安価な原料の入手競走であったり、製品加工の付加価値競走であったり、これらを通じたコストダウン競走であったりする。利害と利害の闘争の果てに衰退する企業、倒産という形で市場から退場する企業もあれば、発展の一都を辿る企業も現れ、利害を分けることになる。

 このことは外国との関係についても言える利害と利害の闘争であろう。外国との利害の闘争の全体的成果が国家としての利害とその利害に応じて決定する国の地位に関係してくるために、国は政治や外交手段を用いて国の利害を守る闘争に出る。そしてその成果が国の地位を決定する。

 この国の利害と国の地位の総体が国益を形成する。

 ゆえに経済や政治、外交全般を通した国の利害を守る闘争こそが国益を守る闘争となっていく。

 この国家の利害闘争(=国益闘争)には外国に対する援助も含むことは断るまでもない。まさかボランティアで外国援助を続けているわけではあるまい。何らかの利益を得るための援助であるはずだ。最低でも国の地位を守るため、あるいは他の外国との何らかの交渉事に於いて協力を得るといった目的を持たせているはずだ。

 日本は安保理常任入りの賛成を得る目的でアジアやアフリカや南米の様々な国に援助や援助の約束を行ってきた。中国は日本の常任入りを阻止するためにアジアやアフリカや南米の様々な国に援助や援助の約束を行ってきた。

 日本は中国との間の自国国益闘争に敗れたのである。

 国家は常に自国国益のために外国との間で政治・外交・経済を通じて闘争を続けている。その国益闘争が合理的で効率的戦略性に則っているかどうかはその国の政府の政治的創造性に負うことは言を俟たないはずだ。

 「戦略的互恵関係」をいくら振り回しても、言っている背後で国と国との間の利害と利害の国益闘争は絶え間なく行われているだから、振り回すほどには必ずしも言葉通りの忠実さで実効性が伴うわけではない。

 このことは日本が中国と戦略互恵関係を結びながら、インドとも結んでいることも証明している。インドも日本との間だけではなく、中国やその他の外国との間にも戦略的互恵関係を結んでいる。それぞれの国が相手国との取引に応じて国益とする利害計算を異にするだろうから、インドで言えば、一つの事柄に関しては日本よりも中国とより協力し、別の事柄に関しては中国よりも日本とより協力するといった利害闘争に差をつけることも起こりうるゆえに互恵関係を相互に相殺し合うことになり、必ずしも戦略的互恵関係が的確な実体を伴うわけではない。

 このことが意味することは国益という名の利害闘争を全体の場面とした中で位置づけられた「戦略的互恵関係」と見なければならないことになる。いわば、いくらどのような外国と戦略的互恵関係を結ぼうと戦略互恵関係よりも常に自国国益が優先されると言うことである。

 逆説するなら、自国国益を損なってまでして優先させる戦略的互恵関係は存在しないことになる。自国国益を損なっていたとしても、他の国益とプラスマイナスして相殺されるか、あるいはプラスするかの計算のない自国国益の損失はないはずだ。あるいは将来的に上記計算が可能とならない自国国益の損失もないはずである。

 このことを言い換えると、自国国益は絶対価値としなければならないが、戦略的互恵関係は相対的価値として存在することになる。

 大体からして、「戦略的互恵関係」そのものが国益追求を目的とした外交政策であろう。このことが既に国益が主で、「戦略的互恵関係」が従である関係を示している。 

 学問的知識はないが、「戦略的互恵関係」の「戦略」という言葉はそもそもは戦争に使われた言葉であろう。自国が戦争に勝つか負けるか、戦争全体に亘って総合的に講じる勝つための策を意味していたはずだ。

 もし菅首相が「戦略的互恵関係」を国益という名の利害闘争を全体の場面とした中で位置づけるものとして合理的に把えていたなら、あるいは戦略互恵関係よりも常に自国国益を優先することを厳しく認識していたなら、中国側から首脳会談を中止させられながら、こうも無闇に「戦略的互恵関係を深める」とか、「戦略的互恵関係の原点に戻る」とか言わなかったのではないだろうか。

 「戦略的互恵関係」自体が国益の前に相対的で、不確かな価値観に過ぎない。

 あるいは私自身が言っていることが間違っているのか、どちらかだろうが、少なくとも中国は国内にどのような問題を抱えていようと、日本との間の戦略的互恵関係よりも自国国益を優先させた。

 このことはレアアースの輸出規制にも見ることができる。

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