高校無償化見送りは自民党に対する阿(おもね)りではないのか
23日(2010年11月)の北朝鮮による韓国大延坪島(テヨンピョンド)への砲撃を理由として菅政府は朝鮮学校無償化に対する従来の容認姿勢を転換、停止させる方針を示した。《朝鮮学校無償化、当面対象外に 官房長官「手続き停止」》(asahi.com/2010年11月24日14時14分)
24日午前の記者会見――
仙谷官房長官「昨日、今日の事態のなかで、現在進めているプロセスを一旦停止するという方向に動くと考えている」
仙谷官房長官「現時点では制裁的意味合いではない。朝鮮半島(情勢)が緊張してくる中、現時点では手続きを停止することが望ましい」
所管大臣の高木文科相の24日午前の衆院文部科学委員会での発言――
高木文科相「今回の事態は正常な教育、平和を揺るがす根底にかかわる問題。重大な決意で臨まなければならない」
記事は解説している。〈政府はこれまで、朝鮮学校への制度適用について「政治、外交上の問題は配慮しない」との見解を国会で示していた。現在、文科省が10校ある朝鮮学校(高校段階)から適用申請を受け付けている段階で、締め切りは今月30日。教員数や授業時数など外形的な基準を満たしているかどうかの個別審査を経て、10校すべてが対象となる見通しだった。 〉――
仙谷官房長官は「制裁的意味合いではない」と言っているが、ではどんな意味合いからのプロセスの一旦停止なのだろうか。「昨日、今日の事態のなかで」と北朝鮮の国際ルールの通じない、テロ行為に等しい砲撃と韓国が受けた衝撃を取り上げた上での「停止」発言である。
また高木文科相も「今回の事態」を適用判断の理由としている。「制裁的意味合い」のプロセスの一旦停止以外の何ものでもあるまい。
だが、砲撃の主体は北朝鮮国家、金正日独裁政権である。朝鮮学校生でもないし、朝鮮総連でもない。改めて北朝鮮国家の危険性、金正日独裁政権の危険性を世界に知らしめたが、その危険性を北朝鮮学校生がそっくり体しているわけでもないし、朝鮮総連がそのまま体しているわけでもない。北朝鮮国家、金正日独裁政権の問題であろう。
この関係を無視して、朝鮮学校を持ち出し、高校無償化のプロセスの一旦停止を言い出す。
果して朝鮮学校生をターゲットとした無償化プロセスの一旦停止によって北朝鮮に対する直接的な制裁となり得るのだろうか。自国民を飢餓・餓死に陥れても痛みも痒みも感じず、自身の独裁権力維持のために核兵器や長距離ミサイルの開発に国家予算を集中的に注ぎ込む権力者にとって、プロセスの一旦停止は同じように痛みも痒みも感じない、何ら実害を与えはしない制裁ではないだろうか。
制裁としての意味を持つのかということである。
北朝鮮に対する心理的な意味合いの制裁だと言うなら、北朝鮮に対して心理的な効果を持たせることができたとしても、プロセスの一旦停止は、砲撃を行ったのは北朝鮮の独裁国家権力であったにも関わらず、朝鮮学校生をターゲットとした実害を朝鮮学校生のみに与える制裁となる。北朝鮮には実害は何ら届かない。
その謂われはどこにあるのだろうか。
朝鮮学校に対するこの高校無償化プロセスの一旦停止は菅首相自身の指示によるものだと本人自らが24日の記者会見で明らかにしている
《朝鮮学校無償化「私がプロセス停止指示」24日の菅首相》(asahi.com/2010年11月24日20時47分)
記者「朝鮮学校の無償化について、仙谷官房長官は『プロセスを停止する」と発言され、無償化を見直す可能性を示唆された。制裁的な意味合いとして、見直す考えはあるか」
菅首相「私のほうから、文科大臣に対して、こういう状況の中で、プロセスを停止してほしいという指示を出しました」
記者「今後の取り扱いについては」
菅首相「こういう状況の中で、停止をしたということです」
菅首相の答弁は記者の「制裁的な意味合いとして、見直す考えはあるか」の質問を否定も肯定もせずにそのまま受け継ぐ形となっているから、「制裁的な意味合い」を前提とした“プロセスの停止”であることを意味する。
日本も含めて世界は北朝鮮に対して輸出入禁止や金融取引停止等の経済制裁を課しているが、それでも核開発の動きを止める気配を示さないし、今回韓国を砲撃までしている。経済制裁が北朝鮮の危険な動きを停止させる力を持っていなかった。
当然、心理的な意味合いを持たせた制裁など役に立とうはずはない。北朝鮮に対する制裁に代えてただ単に朝鮮高校生をターゲットとした制裁で終わることになったという事実だけが残るのは十二分に予想できる。
言い替えるなら、例え心理的な意味合いを持たせた制裁だとしても、意味のない対北朝鮮制裁であり、意味のない対朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止となると言うことである。
菅首相も仙谷官房長官もこういったことを何ら認識せずに方針立てたプロセスの一旦停止だったのだろうか。
もしそうだとしたら、その認識能力を疑わざるを得ない。従来から政権を担当するだけの認識能力を保持していないと見ていたが、例え実質的に心理的な意味合いの制裁だとしても、砲撃自体は何ら関係のない朝鮮学校生までを巻き込み、実害の部分ではすべて引き受けさせることとなるプロセスの一旦停止とするのは政権担当能力云々を超えて、余りにも認識の浅い非道な仕打ちとなる。
菅首相ならそれができると言えばそれまでだが、いくらなんでもそこまで無思慮でないだろう。砲撃にしても、そのままエスカレートするとは誰も見ていなかった。金正日からその息子への父子権力継承の過程で、あるいは経済状況次第で不測の事態が起こり得る危険要素はあっても、今回の危機は一旦は鎮まると大方が予測していた。
この状況で最初に打ち出したアクションが意味もメリットも何ら予想し得ない朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止である。認識能力が浅いと言う以上にどこかが狂っている。
だが、朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止によってメリットを見い出すことができる事柄が一つある。無償化プロセスの一旦停止によって朝鮮学校無償化に強硬に反対している自民党と立場を同じくすることができるというメリットである。
危険水域まで達した内閣支持率、ねじれ国会、閣僚の失言による辞任、野党の問責決議案を武器とした攻勢、政権が立ち行かなくなりそうなところまで行き詰まった逆境に立たされている状況下で朝鮮学校からの無償化適用申請受付締切り日が11月30日、臨時国会会期は12月3日ということなら、当然、予想される国会を場とした自民党からの激しい追及に答弁のブレや言い間違い、言葉のつまり等で少しでも立ち往生した場面を見せた場合、閣僚に対する問責決議案提出が増えることになり、行き詰まった状況が益々行き詰まることになる。
少なくとも無償化プロセスの一旦停止によって予想されている追及が回避可能となる。皮肉な言い方をすると、無償化プロセスの一旦停止が追及回避の有り難い見返りを菅内閣に与えることになる。
もしこれが実際に追求回避の見返りを目的としたワイロ紛いのプレゼントだとしたら、菅内閣は自民党に阿(おもね)たことになる。節度を投げ捨てた阿諛追従の行動に出たということである。
朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止が北朝鮮に対する心理的な意味合いでも実際的な意味合いでも制裁足り得ないことを考えると、残る答えはどうしても無償化プロセスの一旦停止によって無償化反対の自民党と無償化を行わないという同調姿勢を取ろうとしているとしか見えない。
どちらの推測が正しく、どちらの推測も正しくなくても、砲撃を仕出かした国家権力とは無関係の朝鮮学校生を巻き込むことに変わりはない。朝鮮学校を生贄とした無償化プロセスの一旦停止だと間違いなく言える。
日本政府は北朝鮮の核実験のときも北朝鮮の魚雷攻撃による韓国哨戒艦沈没事件のときも日本独自の経済制裁と共に国連安保理を舞台とした制裁活動に韓国やアメリカ共に積極的に動いてきたが、今回はまだその動きを見せていない。
韓国は砲撃が国連憲章や朝鮮戦争の休戦協定に違反するとして国連安全保障理事会への付託を検討すると表明している。
国連安保理の最終判断が実質的効果を持たなくても、判断の事実は残る。
菅首相は国連安保理に判断を委ねる前に朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止に素早く動いた。余りにも素早く。 |