浜田国交相等の靖国参拝は日本の内政問題なら、韓国大統領竹島訪問も韓国内政問題とし得る

2012-08-13 08:14:58 | Weblog

 8月10日、羽田国交相と松原拉致問題担当相の野田内閣2閣僚が靖国参拝意思を示した。このことについて野田首相が同日午後の「消費税大増税法案成立記念記者会見」で発言している。

 上杉記者「フリーランスの上杉です。

 ちょっと関係ないんですが、重要なことですが、間もなく8月15日、終戦ですが、靖国参拝に関して、閣僚の2閣僚が参拝を表明しています。野田総理も野党時代、小泉政権時代ですが、2005年質問主意書で、A級戦犯は犯罪人ではないというような質問主意書を出して、小泉さんの参拝に関して若干賛同の意を表明していますが、今回、総理御自身、その2閣僚の参拝についての御意見と、総理御自身の靖国参拝の有無について、どのような立ち位置かお知らせください」

 野田首相「靖国参拝に関しては、昨年の9月に野田内閣が発足したときに、総理大臣、閣僚については、公式参拝は自粛するという方針を決めさせていただいておりますので、この方針にのっとって私自身も、それからその他の閣僚も従っていただけるものと考えております」(首相官邸HP

 内閣の長として方針決定通りに自粛させますとは言っていない。参拝するかしないかの判断の丸投げとなっている。

 羽田国交相と松原拉致問題担当相の参拝意思表明を見てみる。《羽田国交相 靖国参拝を表明》NHK NEWS WEB/2012年8月10日 13時8分)

 8月10日閣議後の記者会見。

 羽田国交相「子どものころから父親に連れられて靖国神社に参拝してきた。国会議員になってからも続けており、ことしも参拝したい」

 記者「野田総理大臣に伝えたのか」

 羽田国交相「閣僚としてではなく、私的に参拝する。政府としては、閣僚の公式参拝は自粛することになっているが、私的なことなので、伝える必要はないのではないか」

 公人を離れた私的参拝だから内閣の自粛方針に抵触しないと言っている。

 松原拉致問題担当相「私は20年以上、毎年8月15日に参拝をしており、ことしも適宜判断をしていきたい」

 中国で過激な反日デモを誘発した小泉首相の靖国参拝も私的参拝とし、心の問題だと正当化した。

 2005年6月2日、参院予算委員会。

 小泉首相(当時)「首相の職務ではなく、私の心情から発する参拝に他の国が干渉すべきではない。自分自身の判断で考える問題だ」(朝日新聞/2005年6月3日朝刊)

 首相としての公人を離れた私的心情からの参拝だと羽田国交相と同趣旨の発言となっている。

 小泉首相はA級戦犯合祀に関して歴史に残る名言を吐いている。

 小泉首相「どの国でも戦没者への追悼を行う気持を持っている。どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきではない。東条英機氏のA級戦犯の話がたびたび国会でも論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。

 私は一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのけしからんと言うのは、いまだに理由が分からない」(朝日新聞/2005年5月17日朝刊)

 孔子はこのような言葉は使っていなし、「罪を憎んで人を憎まず」は加害者側が使う言葉ではないと日本人中国文学者が批判している。

 殺人者が裁判所の判事や被害者側の家族に対して、「なあ、罪を憎んで人を憎まずだろう」と言ったら、どうなるだろうか。

 行為者と行為事実とは切っても切れない関係にある。行為者が行為事実の責任を取らずに、誰が取るだろうか。A級戦犯は戦争遂行首謀者であって、戦前の日本は国を挙げて侵略戦争に走った。

 いわば日本全体が戦争行為者であり、侵略戦争という行為事実をつくり出した。

 当然、日本全体で責任を取らなければならない戦争行為であった。このことは歴史認識に於いても同じ精神構造を踏まなければならないはずだ。

 また、行為事実を罰するということは同時に行為者を罰することを意味する。行為事実だけが罰せられて、行為者が罰せられない罰則は存在しない。

 加害者側であることを無視した小泉首相の「罪を憎んで人を憎まず」の図々しいばかりの鉄面皮な道徳観には、切っても切れない関係にある行為者と行為事実を切り離して扱っているゆえに「人」を許すことによって「罪」(=歴史的行為事実)まで抹消しようとする意思を潜ませていることになる。

 だからこそ、罰則とは正反対の「戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げる」ことができる。

 この態度には口では侵略戦争だったと言っても、侵略戦争だとする意識は一カケラも存在しない。

 このような精神的メカニズムを取ることができるからこそ、国として戦争を総括することができなかったのだろう。

 李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が竹島訪問は公人であることを離れた私的訪問であると言ったら、日本の領有権侵害に当たらないことになるのだろうか。

 翌年の2006年になると、小泉首相は靖国参拝は「心の問題」だと言い出した。

 2006年1月25日、参院本会議。

 小泉首相「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝しているが、小泉純一郎も一人の人間だ。心の問題、精神の自由はこれを侵してはならないと言うのは日本国憲法でも認めている」(朝日新聞2006年3月2日朝刊)

 2006年2月8日、衆院予算委員会。

 小泉首相「心の問題は大事だ。憲法19条でも『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』と。靖国神社参拝は戦没者に対する哀悼の念と戦争反省を踏まえて、二度と日本は戦争を起こしてはいけないとう気持で靖国参拝をする」(同朝日新聞2006年3月2日朝刊)
 
 羽田国交相の発言にしても、松原拉致問題担当相の発言にしても、小泉元首相の発言にしても、侵略国として一定の外国を敵国として戦った戦争である以上、その戦争の歴史認識に於いては侵略の文脈でその外国との関係を捕捉しなければならないはずだが、日本の政治家の多くの歴史認識からは侵略の文脈での外国の関係把握がすっぽりと抜け落ちて、国内問題――いわば内政の問題としてのみ認識している。

 日本の戦争が外国と戦った戦争でないかのようである。

 羽田国交相の「子どものころから父親に連れられて靖国神社に参拝してきた。国会議員になってからも続けており、ことしも参拝したい」はまさしく外国との関係を一切捨象して、捨象しているがゆえに日本の戦争を内政問題として把握している。

 松原拉致問題担当相の「私は20年以上、毎年8月15日に参拝をしており、ことしも適宜判断をしていきたい」も同じである。

 小泉首相の靖国参拝は「心の問題、精神の自由はこれを侵してはならないと言うのは日本国憲法でも認めている」に至ってはまさしく侵略国として外国と戦った戦争ではなく、日本の戦争のみであるかのように扱っている。

 戦争行為者としてのA級戦犯とA級戦犯として罰せられたその戦争行為事実が切り離し不可能でありながら、それを切り離し、戦争の歴史認識に於いても侵略の文脈での外国との関係を切り離している。

 靖国参拝が内政問題(=国内問題)だと言って許されるなら、李明博韓国大統領の竹島訪問も内政問題(=国内問題)として許されることになる。

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