国民にとっての本質的な安心は野田首相が描く社会保障制度充実のバラ色の安心ではない

2012-08-02 12:18:59 | Weblog

 8月1日(昨日)のブログでもこの発言取り上げたが、野田首相は自らの社会保障制度改革の効能を次のような持論としている。

 7月31日(2012年)「社会保障と税の一体改革特別委員会」に於ける新党「国民の生活が第一」の森ゆうこ議員の質問に対する国会答。

 野田首相「一体改革はこうした状況(各種の社会的悪化状況)を改善し、分厚い中間層を復活させることを目指し、若者や女性や高齢者や障害者など働く希望を持てる全ての人に就労促進等の強化を図ること、あるいは短時間労働者に対する厚生年金と健康保険の適用を拡大すること、国民健康保険の保険料をや介護保険の高齢者の保険料の経営者所得者軽減強化など行なって、国民が安心して生活できる、重層的なセーフティネットの構築を図って行きたいと考えています」

 いわば社会保障制度改革によって、「国民が安心して生活できる」社会をつくるのだと言っている。

 そして消費税増税は決して経済を損なう要因とはならず、その税収を社会保障費に当てることによって、逆に消費を生む動機となるということを持論としている。

 野田首相「消費税の引き上げ、それは国民の皆さんにとってもご負担をお願いをする話でありますけども、社会保障にすべてを当てる話しであって、将来に対する安心というものは確保することができるならば、それは安心して消費に回る。経済活動におカネが回っていくという可能性も十分に期待できる、と思っています」

 消費税増税の税収を財源とした社会保障制度が「安心」という名の将来的なバラ色の世界の提供を約束している。

 二つの発言を総合すると、社会保障制度の充実が「就労促進等の強化」や消費動機となって現在の安心を生むと同時に将来的な老後の安心をも生むと。

 その安心が放つバラ色が国民一人ひとりの瞳に鮮やかなピンク色で輝き映っているのだろうか。全身に希望の力を漲らせる程の輝きで以って。

 次の記事が野田首相の社会保障制度が約束してくれる現在及びバラ色の世界から、そのバラ色の輝きを奪ってしまう。

 《製造業 中期的に国内生産縮小》NHK NEWS WEB/2012年8月1日 18時24分)

 日本政策投資銀行が今年6月に纏めた調査だそうだが、長引く円高を背景に中期的には国内生産の縮小方針の製造業が増加しているという。

 製造大企業の今年度計画の設備投資金額
 
 国内――昨年度実績比+12.2%
 海外――昨年度実績比+31.5%

 好調なエコカーやスマートフォン関連の生産を強化することが要因となっているというが、設備投資額は国内向けよりも海外向けが断然上回っている。

 この傾向は次の数値も証明している。

 中期的な国内生産態勢見通し(同製造業)

 「強化する」――18.7%(前年32.8%)
 「縮小する」――11.8%(前年4.5%)

 日本政策投資銀行「海外進出した企業が、部品も現地のメーカーから調達する傾向を強めており、産業の空洞化が進み、雇用に悪影響を及ぼさないか懸念される」――

 記事はこの生産拠点の海外移転=国内産業の空洞化は長引く円高を背景としているとしているが、急激な少子高齢化の加速がもたらす労働人口の減少を見据えた動きでもあるのではないだろうか。

 野田首相は同じく昨日の「社会保障と税の一体改革特別委員会」で、現在の所得格差も自らの社会保障制度がその是正に役立つとバラ色の夢を描いた。

 野田首相「あの、社会保障そのものがですね、(所得)再分配機能、があると思いますが、その中でも、特に今回の改革の柱というのは給付は高齢者中心、負担は現役中心という、その構図を改めて、給付・負担両面に於いて、世代間の公平を図っていくという中で、特に給付の面で、人生前半の社会保障、子ども・子育てのところに力を入れていく、充実をしていくということでございますので、あの、(所得格差の)解消にはつながっていくと、基本的には、あのー、考えておりますし、先程、所得税の等のことがお話がございました。

 これは25年度の税制改正の中で所得税や資産課税について再分配機能強化という視点で改革を行なっていくことについては、その3党間の合意をしたところでございます」

 所得税や資産課税強化に所得再分配機能を持たせるが、負担と給付の世代間の公平化と、「特に給付の面で、人生前半の社会保障、子ども・子育てのところに力を入れていく」ことによって、社会保障そのものが所得再分配機能を持つことになって、所得格差解消の有力な手段になるとバラ色の約束をしている。

 充実した子ども手当・子育て手当の支給を受けて、親が安心して子どもを育てることができても、その子どもが成長して社会に出て得る安心は就労機会であり、給与の保証であろう。

 就労機会が満足に恵まれなかったり、恵まれたとしても、非正規の就労機会に限られ、安価な人件費に応じた保険料の積立で、老後の受給として所得比例年金と最低保障年金を組み合わせた公的年金制度から、最低額の月7万円程度を受け取ることができたとしても、その安心を目指して生きるわけではあるまい。

 最低額の月7万円程度はどうにか生活ができるとしても、あくまでも止むを得ない人生の結果であって、目指すべき目標では決してない。

 何よりのバラ色の安心は成人として社会を生きる間の十分な労働報酬を伴った就労の機会に恵まれることであろう。決して社会保障制度が与える「就労促進等の強化」や負担と給付の世代間公平化等々が与えるバラ色の安心ではないはずだ。

 例え満足な子ども支援・子育て支援を受けなくても、社会に出て働けば、人間としての安心、生活していけるという安心を得ることができるという社会的了解事項が社会保障制度が約束する安心を上回るはずだ。

 社会人としての十分な労働報酬を伴った就労の機会が、また十分に生活をしていくことのできる老後の年金を約束する。政府が年金制度を食い物にしたりの余程酷いことをしなければの話だが。

 高度成長時代には満足な子ども支援・子育て支援はなかったが、就労機会が保障され、社会に出て働けば、十分に生活していけるという社会的了解事項が存在した。

 だが、今は社会に出て働けば、十分に生活の安心を得ることができるという社会的了解事項は一部の人間のみに効く約束事となり、少なくない国民がその了解事項から見放されている。

 社会保障にその代わりとなる安心を与える役目を担わせようとしている。出産手当や子ども支援・子育て支援に始まって、高校授業無償化、そして低所得者に対する消費増税時の逆進性対策として一定程度の現金の給付。さらに年金と所得を合わせた額が年間77万円~87万円未満の年金生活者に月額5000円を基準とした給付金の支給等々、手厚い(?)安心を約束しようとしている。

 約束していると書かずに、約束しようとしているとは、税との一体改革だと言いながら、税だけが決まり、社会保障制度改革の全体像は未だ決定していないからなのは断るまでもない。

 より多くの国民に就労機会が保障され、社会に出て働けば、十分に生活していけるという社会的了解事項が与える安心が保障されなければ、いくら社会保障制度で安心を与えようとしても、本質的な安心とはならない、ダメだということである。

 出産手当や子ども支援・子育て支援の充実を受けて多くの女性が出産意欲を高めたとしても、生まれた子どもが成長して社会に出て働くことになったとき、社会保障に依るものではない、自律的経済活動に支えられた就労機会が保障されなければ、前以て予防線を張って出産意欲を抑える方向に動かないとも限らない。

 野田政権は7月31日、環境、医療、農林漁業の3分野を中心とした2020年度までの平均で実質2%成長を目指す成長戦略を盛り込んだ「日本再生戦略」を閣議決定した。

 生産拠点の海外移転=国内産業の空洞化の加速に逆らって、この流れをどのくらい逆転し、現在の若者に、そして今後社会に出て若者となっていく世代に十分な労働報酬を伴った就労の機会をどれ程に約束し、安心を与えることができるのだろうか。

 このことを言い換えると、現在3人に1人と言われる年々増えていく非正規社員の数を減らし、逆に正規社員を増やして安心を与えることにどれ程に役立つ「日本再生戦略」となるかである。

 また社会保障制度が所得再分配機能を果たすことよりも、それ以上に企業が自らの利益を労働者に対する報酬として還元する十分な所得分配機能の役目を担わなければならない。

 だが、国際競争力確保の名の下、人件費を抑制し、社内留保に回す力学を企業倫理の主流としている。

 その結果の非正規雇用者の増加となって現れた。

 野田政権の「日本再生戦略」は菅政権が2010年6月閣議決定、成果確認項目は約1割程度に過ぎない「新成長戦略」の焼き直し項目が多く、新味に欠けるとか、具体策がないと批判するマスコミもある。

 そもそもからして社会保障の安心だけを約束するのではなく、十分な労働報酬を伴った就労の機会を保障可能とする経済回復を以て安心を約束する材料とすべきだが、安心の材料を前者に重点を置いている認識からして、その合理的判断能力を疑わざるを得ず、合理的判断能力を欠いているということなら、この能力が基本となるリーダーシップ(=指導力)にしても期待できないことになり、マスコミが批判するように野田政権の「日本再生戦略」は菅前政権の「新成長戦略」同様の成果しか期待できないように思えてくる。

 要するに本質的な安心とはならない社会保障の安心だけを訴えて終わることになりかねない。

 いや、合理的判断能力を書き、リーダーシップ(=指導力)を欠くということなら、その安心さえ当てにならないかもしれない。

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