前原・枝野の野田首相反原発団体面会反対奇妙発言から見る国民代弁率、あるいは国民代表率

2012-08-08 11:52:29 | Weblog

 野田首相の反原発団体代表者との面会に横槍が入った。

 先ず面会に向けた経緯を見てみる。

 《菅氏、脱原発抗議行動メンバーと意見交換》asahi.com/2012年7月31日22時49分)

 7月31日、私から見ると、福島原発事故対応で情報提供の失態・不手際から多くの住民に放射能汚染の被害を与えるなどの加害を重ねながら、ウソと責任転嫁で自己正当化を企んで原発を語る資格を失っているはずの菅仮免を筆頭とした超党派の国会議員約10人が首相官邸前で反原発の抗議行動を呼びかけている「首都圏反原発連合」メンバーと国会内で意見交換した。

 「首都圏反原発連合」は13の市民団体・個人による連絡組織だという。

 メンバー「デモを呼びかけている責任上、野田首相にも声を届けたい」

 対して菅仮免は最近電話で話した首相が「会って話を聞くことはやぶさかではない」と語っていることを明かしたという。

 反原発が今後の自身の最適な活躍の場面と思い定めて飛びついたのだろうが、福島原発事故対応の失態を謝罪し、責任を取るとなると、国会議員辞職でも追いつかない大きな責任だから、折角飛びついた活躍の場を失うことになる。

 そんなことよりも持ち前の図々しさで名を売ることの方が大切というわけなのだろう

 菅仮免「(面会が)実現する可能性はあると思う。段取りについては今後、いろいろな方と相談して進めたい。皆さんの行動は、野田総理にも大きな影響を与えている」

 同席していた菅仮免キンギョの糞。

 江田五月・元参院議長「ここで一緒に気勢を上げるのが私たちの役目ではないが、脱原発をどうすべきか与党としての政策に仕上げるのが私たちだ」

 だが、大飯原発再稼動を止めることができなかった。首相官邸前での抗議行動は大飯原発再稼動の延長にある場面である。

 8月に入って3日午後、内閣記者会のインタビューで野田首相は面会の意思を示す

 記者「官邸周辺でのデモの声は公邸からも聞こえるか」

 野田首相「窓を開ければ聞こえる」

 記者「デモ参加者は首相との面会を求めている」

 野田首相「さまざまな声は基本的にできるだけ聞きたい。(面会は)やり方、日程含めて調整している。遠くない将来に実現できると思う」(以上時事ドットコム

 同じ8月3日、橋下徹大阪市長が野田首相が反原発団体との面会を受け入れる方針を決めたことに忌避感を示している。

 《橋下氏、首相のデモ団体との面会に疑問 「会わせてくれと言って会えるものではない」》MSN産経/2012.8.3 21:04)

 橋下市長「社会にはルールがあり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とにかくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う。

 国会議員が有権者の意見を集約して首相に伝えていけばいい」

 どうも言っている意味が素直に入ってこない。「一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではない」としても、首相の方から会うと言っているのだから、問題はないはずだ。

 「デモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違う」と言っていることも、ピンと来ない。デモ自体が民主的なルールの一つであって、届出をし、暴徒化しないといった規制の範囲内での集団抗議行動であるなら、民主的なルールに則った一つの政治的行動、あるいはその他の行動と見做されるはずだ。

 橋下市長は市民の支持率を政治遂行の大きな武器としている。支持率とは市民・国民の声の現れである。デモも、民主的なルールに則った市民・国民の声の集団抗議行動であって、デモが大規模化すれば、当然、その声は大きなものとなる。

 デモを手段として、その声を政治、その他に伝える。

 このことを裏返すと、自分たちの声が政治、その他に届いていない状況にあるからこその、その反動としてある直接的な意思伝達の手段であるはずだ。

 それとも政治家が市民・国民の声を代弁すればいいのであって、デモという集団行動で自らが自らの声を代弁するものではないと見ているのだろうか。

 その思いがあるからこそ、「国会議員が有権者の意見を集約して首相に伝えていけばいい」という発言となったのかもしれない。

 だとすると、民主的なルールの一つとして認められているデモを否定している発言となる。

 大体がデモは、自分たちの声を伝える方法として選挙のときに1票を投じる、あるいは「国会議員が有権者の意見を集約して首相に伝え」るといった極々当たり前の一般的な民主的ルールに則っていたなら埒が明かないと見たときの直接行動として現れる。

 当然、デモはそれら極々当たり前の一般的な民主的ルールを超えた場所に位置していることになる。

 つまり一般的な政治行動で律するには無理が生じることになるはずだ。

 橋下市長は大飯原発再稼動絶対反対の姿勢から容認へと転じたブレた姿勢の手前、反原発デモの存在は絶対反対の姿勢を貫いている象徴に見えて精神的な苦痛の種、少なくとも穏やかではない風景となっているのかもしれない。

 「直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」という言葉もデモ否定の延長にある発言であろう。

 反原発団体にしても、「直接会えば原発問題が解決する」とは思ってもいまい。なぜなら、原発ゼロの戦いは長い道のりを覚悟しているはずだからだ。長い道のりを制するには無視できない大きな声にしなければならない。

 首相に面会し、自分たちの声を伝えるのは長い戦いの一里塚に過ぎないだろう。

 橋下市長の反原発忌避発言から4日後の8月7日、今度は詭弁家枝野が野田首相の反原発団体代表との面会に反対の声を上げた。《野田首相と市民団体面会に反対=公平・透明性に疑問-枝野経産相》時事ドットコム/2012/08/07-10:20)

 閣議後記者会見。

 枝野「(面会に)私は反対だ。(特定団体代表者との面会は)公平性、透明性を考えれば、誤解を招く可能性がある」

 これまで特定団体代表者との面会は一切なかったのだろうか。8月1日に支持母体である連合の会長と首相官邸で会談したが、公平性、透明性を欠いた、誤解を招く可能性のある会談だったことになる。

 政府が将来のエネルギー政策に関する意見聴取会を全国11都市で開催、枝野は国民から広く意見を聴取したこういった機会を例示して――

 枝野「全ての国民が参加可能なシステムがある。経済界をはじめ、直接意見を聞くことはしていない。統一して徹底したい」

 記事が書いている「将来のエネルギー政策に関する意見聴取会」とは、6月29日開催のエネルギー・環境会議で政府が提示した2030年の原発比率「0%」・「15%」・「20~25%」の3選択肢に対する全国11カ所意見聴取会のことだが、共同通信が参加者の約3割に当たる88人に聞いたところ、約7割が「0%」支持の回答だったそうで、これがそのまま実現する保証があれば反原発団体の利害と一致してデモは必要なくなる。

 だが、野田政権の黒いフィクサー、大飯原発の再稼動に主導的役割を果たしたと言われている仙谷は「0%は非現実的」だと言って、15%を支持、経団連の「20~25%が妥当」の主張も反原発団体の主張と利害を異にする。

 いわば「全ての国民が参加可能なシステム」の決定が国の政策の決定となる“システム”であるなら、反原発団体にしても何ら問題にしないだろうが、だが、決してそうなる保証はない。

 そうである以上、枝野の言っていることは相変わらずの詭弁に過ぎない。

 「全ての国民が参加可能なシステム」を選挙のときの投票と考えると詭弁かどうか理解しやすい。選挙時の投票は満20歳以上の「全ての国民が参加可能なシステム」ではあるが、そのシステムは民主主義の多数決の原理に則って運営される。

 多数決が殆どの政策を多数者の意思に帰着させた場合、多数決の政策から排除された少数者が自らの政治主張をデモで訴えたとき、「全ての国民が参加可能なシステム」での決定だからと言って、そのデモを排除・否定することができるだろうか。

 枝野の発言はこのようなケースのデモを排除・否定するのと同じ次元の言葉であり、それをさも正しいことのように言うのは詭弁そのものだということである。

 野田首相は新たなエネルギー政策を巡る意見聴取会で全発電量に占める原子力発電の比率を「ゼロ」にすべきだという意見が多かったことから、「ゼロ」にする場合の課題整理と克服策の検討を行うよう、古川国家戦略担当大臣ら関係閣僚に指示した。(NHK NEWS WEB) 

 この指示は党内の反原発派を宥める手段だと書くマスコミもあり、そう遠くない次の総選挙で脱原発が争点となった場合の備えと見ることもできる。

 直ちに実現確実と断定はできない情勢にある以上、反原発団体は矛を収めるわけにはいくまい。

 同じ8月7日だが、午後の記者会見だと書いてあるから、こちらが後なのだろう、今度は前原口先番長が野田首相の面会に異を唱えた。

 《前原氏、首相の原発デモ面会に懸念 「一活動家が代弁者なのか…」》MSN産経/2012.8.7 19:40)

 前原口先番長「多くの方々が(デモで)集まる中、面会する人が代弁者たり得るのか懸念を持つ。一活動家がすべてを代弁する形で会うことがないようにしてほしい」

 こうまで野田政権内程度の低い実力者が続けて首相の面会にケチを付けるというのは野田首相退陣の狼煙かと勘繰ってしまう。内閣不信任案に民主党内造反者が出て可決されたとしても、参院で問責決議案が可決されたとしても、解散せずに首相退陣で凌ぐという手もある。

 「面会する人が代弁者たり得るのか」否かは、あるいは「一活動家がすべてを代弁する」のか否かは、面会の場にテレビカメラを持ち込めば分かることである。

 「時事ドットコム」記事が、〈面会はインターネットで中継され、公開される見通し〉と書いている。

 デモ参加者が判定してくれるだろう。

 首相官邸周辺のデモは「反原発」を最大公約数としていて、デモ参加者のすべては「反原発」を共通の認識としているはずである。誰が代表となっても、この構図に変化はないはずだ。

 野田首相の側から言いうと、誰と会っても、反原発で攻めてくることに変わりはないはずである。

 いわばデモ参加の誰もが「代弁者たり得る」資格を有する。

 前原口先番長は理由にならない理由を論(あげつら)って、ケチをつけているに過ぎない。

 大体が野田政権自体が国民の代弁者たり得ているのだろうか。政権交代時は高い国民支持率を誇っていた。だが、野田政権となって、内閣支持率は30%前後の低空飛行で低迷している。

 内閣支持率とは国民代弁率、あるいは国民代表率と翻訳することもできるはずだ。国民の声を代弁していないと国民に見られているから、内閣支持率は下がる。当然、国民を代表している確率も下がることになる。

 内閣支持率30%前後ということは30%前後の国民代弁率であり、30%前後しか国民を代表していないということである。

 前原は「面会する人が代弁者たり得るのか」などと懸念するよりも、野田政権の国民代弁率の低さ、国民代表率の低さに懸念を表すべきだろう。

 自分の頭のハエを追えということである。トンチンカンな男だ。

 野田首相は社会保障・税一体改革関連法案の参院採決や「国民の生活が第一」など中小野党による内閣不信任決議案の提出によって国会日程が流動的となり、調整が困難になったと判断して、面会を延期したという。

 程度の低い詭弁家枝野と程度の低い口先番長前原のパンチが効いたということなら、その程度の低さに負けた野田首相の主体性喪失を意味することになって、その運命や風前の灯と言うことにならないだろうか

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