脱原発反対派はイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけない者たち

2012-08-26 12:45:11 | Weblog

 森ゆうこ「国民の生活が第一」参議院議員の事務所から、『<どうする?原発>徹底討論!容認派vs反対派
~127万人ユーザーアンケートから考える日本のエネルギーと未来~』
と題して8月23日(2012年)22時30分~24時、ニコニコ動画で放映されるという連絡が来た。

 夜遅くて時間が時間で、翌朝視聴しようと思ったが、ニコニコ動画は一定の時間が経過すると無料会員は視聴できなくなり、プレミア会員のみの視聴となるのを忘れていたため、見損なってしまった。

 だが、案内メールに原発反対派の森ゆうこ議員や飯田哲也ISEP環境エネルギー政策研究所所長等に対して原発容認派として名を連ねていた池田信夫アゴラ研究所所長の名を見たとき、経済合理性からのみの賛成派だろうと推測した。

 もし原発が火力発電と比較した場合、二酸化炭素の排出量が格段に少ないということを以って原発賛成だとすると、二酸化炭素排出削減が原発以外に技術的に他に方策がないことを前提としていることになる。

 このような前提は日本の技術に信頼性を置いて研究者たちのイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけるといったことを一切しない考えに基づいていると言える。

 このことは後に触れるとして、先ず脱原発反対派の代表選手たる池田信夫氏の「脱原発反対」をテーマとしたブログ記事を見てみる。

 《原発再稼働と全体最適》BLOGOS/池田信夫/2012年04月14日 21:16)  
 主なところを拾ってみる。

 〈(原発の)燃料費は約1円/kWh。3~4円の火力より圧倒的に安い。逆にいうと原発を止めて火力を動かすと、2~3円/kWhの機会費用が出ることになる。

 その結果、昨年の燃料費の増加は4兆4000億円。GDPの0.9%の損失で、日本は31年ぶりに貿易赤字になった。だから問題は、大飯原発が絶対安全かどうかではなく、そのリスクが機会費用より大きいかどうかである。福島事故の風評被害5兆円を(苛酷事故のリスクは)IAEA基準の確率(10万炉年に1度)で割り引くと、54基ある日本では約2000年に1度だから25億円/年。日本の実績に合わせて50年に1度としても、1000億円/年である。どう計算しても、年間4兆円以上の機会費用よりはるかに小さい。〉

 私自身が「機会費用」という言葉を知らなかったから、辞書を引いてみた。

 【機会費用】「あることを行った結果、犠牲とされた利益。」(『大辞林』三省堂)

 〈問題は、大飯原発が絶対安全かどうかではなく、そのリスクが機会費用より大きいかどうかである。〉

 その根拠として、過酷事故のリスクは〈日本の実績に合わせ〉たとしても、〈50年に1度〉だと割り切っている。

 経済効率一辺倒の経済合理性以外の何ものでもない。

 池田信夫氏は続けて次のように言っている。

 〈・・・と書くと「命の問題は金に代えられない」という類の反論があるだろうが、OECD諸国では過去50年以上の歴史で原発事故による死者は(福島を含めて)1人も出ていないので、これは経済問題である。むしろ毎年5000人を殺している自動車の社会的費用のほうがはるかに大きい。

 ・・・・・・・

 今後も原発を止めたたまにしておくと、日本経済はGDPの数%の損失を出し続け、製造業は日本を出て行く。そのコストは、最終的には電気代の値上げや雇用喪失として国民に転嫁される。〉――

 日本の経済のためには一にも二にも原発を続けろと言っている。

 経済合理性に凝り固まっている。勿論、正当性を得る経済合理性なら構わない。

 野田首相が大飯原発再稼働の決定方針を示した時の記者会見(2012年6月8日)も経済合理性に立っている。

 「国民の生活を守る」、それが野田首相の「唯一絶対の判断の基軸」だと断言。いわば経済合理性を「唯一絶対の判断の基軸」としているわけではないと、経済合理性を否定してはいる。

 「国民の生活を守る」ということは経済的な生活可能性のみを言うのではなく、生理的・肉体的・精神的生活可能性をも含めて、初めて守ることになる。

 いくら経済的に豊かであっても、人間としての生理的・肉体的・精神的存在性を抑圧されたり圧迫を受けたりしたら、豊かな経済性は、その価値を失う。

 それらは放射能の不安一つで損なわれることになる。一人ひとりの不安を足した総量は膨大なものになるはずだ。
 
 野田首相「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」

 絶対安全を保証しているが、大飯原発再稼働決定前から、関西電力の調査によって活断層ではないとしてきた大飯原発地下の破砕帯が「近くの活断層に引きずられて動く可能性を否定できない」とする専門家の指摘を無視した安全保証であった。

 「国民の生活を守る」と言いつつ、経済合理性を優先させていたjからなのは次の発言が証明している。

 野田首相「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません」

 経済的な生活可能性の面からのみの「人間らしい暮らし」の言及となっていることが経済合理性に立っていることの証明に他ならない。

 政府は6月16日に再稼働を正式決定。

 それから2カ月後。再稼働政府決定の強引さに対する国民の批判が和らいだと見たのかどうか分からないが、原子力安全・保安院は福井県敦賀原発と大飯原発、青森県東通原発、石川県志賀原発の4カ所の地下破砕帯の調査を指示した。

 少なくとも大飯原発に限って言うと、順序は逆である。順序の逆を許したのはあくまでも経済合理性に立った再稼働決定であり、人間としての生理的・肉体的・精神的存在性の保証まで含めた「国民の生活を守る」ではなかったからだろう。
 
 日本の技術に対する信頼性を先に持ってきていたなら、時間はかかるだろうが、原発代替に火力発電を持ってきて、経済合理性の観点にのみ囚われて二酸化炭素排出量やコストの比較で論ずるのではなく、風力発電や太陽光発電のみならず、より安定したクリーエネルギーの供給が可能と言われている、日本が遅れている海の波を利用した海洋発電、さらには水素と酸素利用の燃料電池まで含めた、原発以外の方策を論じたはずだ。

 例えば海洋発電。

 ティム・ヨウイギリス・エネルギー・気候変動委員会会長「私たちは2020年までに自然エネルギーを全電力の15%にします。短期的には風力ですが、長期的には海洋発電でまかなおうと考えています。

 なぜなら、信頼性が高く、電子力や化石燃料と同じ安定した電源として使えるからです」(NHKクローズアップ現代「海から電気を作り出せ」/2012年5月10日(木)放送) 

 野田首相は8月24日の記者会見で、「わが国は世界に冠たる海洋国家である」と誇ったが、海洋発電に関しては格段に後発国となっていて、緒に就いたばかりらしい。

 次にクリーンエネルギーとしての水素原料を利用する燃料電池を調べてみた。

 先ずは家庭用燃料電池。

 この仕組みは都市ガスなどに含まれる水素を取り出し、空気中の酸素と化学反応させる過程で、電気と熱を生み出すそうだ。

 エネルギー利用効率は火力発電所で作った電気を家庭で使う場合に比べ約2倍とされている。

 但し、例え水素利用であっても、二酸化炭素を一切排出しない完全なクリーンエネルギーとまではいかない。1年間使用で、石油、天然ガスといった一次エネルギーの使用量を23%削減させることはできるが、CO2削減量1,330㎏の38%削減のみが可能だという。

 但し1台の価格が約280万近く。対して国の補助が平成23年4月8日~平成24年1月31日が上限額105万円。

 昨年度は130万円だったというから、年々減額傾向を辿るのかもしれない。

 だが、JX日鉱日石エネルギーが2015年をメドにドイツで家庭用燃料電池事業に参入、技術開発や量産効果で価格を従来型の5分の1の約50万円に下げた最新型を売り込むと伝えている記事がある。

 《JXエネ、独で家庭用燃料電池販売 価格5分の1》日経電子版/2012年4月20日)

 〈ドイツで販売するのは従来型よりも発電効率が3割程度高い、最新型の固体酸化物型燃料電池(SOFC)。1台あれば一般的な家庭で7割の電力をまかなえる。

 発電装置の主要部材の素材を見直したり、人手で組み立てているのを自動化することなどで、今の270万円から約50万円に引き下げる。ドイツだけでなく、日本も含む世界市場での価格にするとみられる。

 ドイツの電気料金は1キロワット時あたり約24円なのに対し、都市ガスを電気換算すると同約7円と安い。余剰電力を電力会社に販売でき、燃料電池購入後に数年でもとが取れる見通し。20年に5万~6万台の販売をめざす。〉・・・・・

 記事は、〈11年度末で累計約2万台が普及している。〉と書いているが、実際に50万円まで下がったなら、飛躍的に普及が可能となるはずだ。

 次に水素を燃料とした燃料電池車を調べてみた。

 2006年8月1日の「日経ビジネスオンライン」記事――《燃料電池車の時代は当分来ない》と題して、〈コスト以前に、どうやって水素を製造するかという問題がある。水素を燃料とした燃料電池車は確かに走行時にはCO2(二酸化炭素)を発生しない。しかし燃料である水素は自然界に十分に存在するものではないため、人工的に製造しなければならない。そのためにはエネルギーが必要である。

 自然エネルギーや原子力を用いない限り、製造段階でCO2が発生してしまう。その量は一般的にはガソリンや軽油を精製するよりも多いと言われる。現在は燃料電池車の台数が限定的なので問題にならないが、可能な限りCO2を排出せずに効率よく水素を製造する方法を確立しなければ、燃料電池車は地球温暖化の解決策にならない。〉

 このように伝えて、見かけ上の二酸化炭素ゼロのクリーンエネルギーだと解説している。

 1台の値段がどのくらいするか、昨年の記事――《トヨタ、「燃料電池車の価格は現状で1000万円」》Response/2011年8月8日(月) 12時15分)が教えてくれる。

 2011年時点で燃料電池車1台1000万円という値段は、燃料電池車本格的開発の2000年代初頭は1台2億円とも言われていたことから比べると、この10年間で価格は20分の1まで下がった値段だという。

 〈2015年の市販時には、価格を5万ドル(約390万円)まで下げるのが目標とも伝えられている。〉と記事を結んでいる。

 この結びは技術の発展に対する期待を抱かせる。この期待は日本の技術に対する信頼性を裏打ちとしているはずである。

 2006年時点で「燃料電池車の時代は当分来ない」としていた期待不可能値は、堂免一成(どうめん かずなり)東京工業大学資源化学研究所教授の、〈太陽の光を当てるだけで水から水素が取り出せる画期的な触媒(光触媒)を東京工業大学資源化学研究所・堂免一成教授が開発しました。可視光で水を分解することは、これまで不可能に近いと見られていましたが、その壁を見事に突破した世界に誇れる成果です。水素がブクブク出るレベルにまではまだいっていませんが、夢の水素製造法の実現に一歩近づきました。今後5年間かけて実用性を実証する計画です。 〉と伝えているHP記事が期待値へと導いてくれる。

 研究者のコメント「光触媒による水素生産は、太陽電池による水素生産よりシステムが簡単になります。したがって、広大な面積に展開するのに向いていると思います。光触媒の寿命としては、劣化せずに1年位使えるのが目標です。実用化までには、もう一つブレークスルーが必要と思いますが、10~15年後には水素がある規模で取り出せるようになると見ています」

 「10~15年後」に実現できたなら、2030年目標の発電量に占める原発比率をどうするかの2030年とほぼ肩を並べる。

 堂免教授は開催日2011年3月9日の三井化学 第5回 触媒科学国際シンポジウム「持続可能な社会を実現する触媒科学」で講演している。その案内のHPには、教授を次のように紹介している。

 〈堂免教授は不均一系光触媒を用いた水の分解による水素製造研究の第一人者であり、太陽光で水を分解し、太陽エネルギーを効率良く水素エネルギーに変換するための光触媒の開発を推進している。この研究分野では、チタン、タンタル、ニオブなどの酸化物が幅広く研究されてきたが、堂免教授はガリウムやゲルマニウムなどの(酸)窒化物を光触媒材料開発の主なターゲットとし、太陽光の大部分を占める可視光を利用した水の水素と酸素への完全分解に成功した。

 本講演では、GaN-ZnO及びZnGeN2-ZnO固溶体系光触媒や、緑色植物の光合成を模倣したZスキーム系光触媒による、可視光を利用した水分解反応の技術及び将来課題について述べられた。〉・・・・・

 尤もこの研究は堂免氏一人ではなく、国内、国外に相当いるようである。

 日本の技術に対する信頼性を確固としていたなら、多くの研究者のイノベーション(技術革新)に対するチャレンジ精神に期待をかけることになり、二酸化炭素排出抑制を伴った原発代替エネルギーが経済合理性からも決して実現不可能ではないとする立場に立てるはずだ。

 この前提に立った場合、原発稼働の経済合理性という基準は意味のないものとなる。

 日本学術会議が使用済み核燃料から発生する高レベル放射性廃棄物を地下300メートルより深い場所に数万年以上埋めて処分するとする国の計画に対して地震や火山が活発な日本で、数万年以上に及ぶ長期にわたって安定した地下の地層を確認することは、現在の科学では限界があることを自覚すべきだとして、国の計画の白紙撤回・見直しを求める報告書案を8月23日に纏めている(NHK NEWS WEB記事から)。

 この報告にある思想は原発稼働の経済合理性を打ち砕く。

 あるいは経済的な生活可能性のみで価値づけるべきではない、結果的に人間としての生理的・肉体的・精神的存在性の価値観をより重要視し、その価値観に軍配を上げる思想の発現とも見ることができるはずだ。

 日本の技術に信頼を寄せて、脱原発に邁進すべきではないだろうか。

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