戦略性ある公共事業の具体例の一つとしての東京大学の地方移転

2013-03-01 09:06:46 | Weblog

 2013年2月22日当ブログ記事――《安倍晋三の戦略性・思想性なきアベノミクス、その公共事業政策論を見る - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈成長戦略の核心的な戦略的テーマは、中央と地方の格差の是正と地方の衰退からの回復、社会的各階層に於ける各種経済格差・収入格差の是正等による社会的下層の生活の底上げ等を包括的に視野に収めた日本国力の全体的な発展でなければならないはずだ。〉と書いて、安倍内閣の公共事業を戦略性を欠いたものと批判した。批判しただけで、では具体的にどういった公共事業が上記戦略性に適うのか何か提案しないと、偉そうな口を叩いただけとなりそうなので、ない頭を絞って、東京大学の地方移転が一つの例となるのではないのかと思い立って、記事にして見ることにした。

 政治家ではない。経済にもド素人だが、安倍晋三みたいにツラの皮を厚くして提案だけはしてみる。

 但し既に東京大学の地方移転を主張している者もいるだろうが、単に移動するだけではない。

 東京大学の地方移転である。何も東京大学が日本一の大学だからと言って、東京に存在しなければならない理由はない。東京大学以上に優秀だとされるアメリカのハーバード大学は、首都ワシントンでもなく、全米一の大都市ニューヨクでもなく、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置く、しかも東大のように国立ではなく、私立大学だそうだが、世界有数の大学としての名誉を恣(ほしいまま)に、一地方でその健在を誇っているのだから、東京大学にしても地方でいいはずだ。

 また、多くの大学が東京に集中していることも東京一極集中の象徴の一つで、東京大学はその頂点に立っているが、東京大学を間引いて地方に移転することによって、地方衰退の裏返しとして存在する、あるいは地方衰退と対応している東京一極集中の繁栄を少しでも地方に移転させ、地方を活気づける中央と地方の格差是正の一助ともなり得るはずだ。

 インターネット上で調べたところ、東京大学本郷キャンパスの広さは付属病院込みで540000㎡、東京ドーム11個分で、駒場キャンパスは250000㎡、 東京ドーム5個分の広さだという。併せて約80000㎡。

 東京ドーム16個分となるが、東京ドーム何個分と言われてもピンと来ないと思われる。東京大学が何人の人口を抱えているか見ると、大体のスケールが分かると思う。

 教職員 ――2434名
 事務職員――5200名
 学生数 ――約28800名(本郷キャンパス+駒場キャンパス)

   合計  約36400名

 これに商業関係者やその他の民間人を加えたなら、優に5万人都市が形成できる。5万人が生活し、建物の多くは鉄筋コンクリートの10階建程度の高層建造物を必要とする。かなりの近代的なスケールの大きな都市ができるはずだ。

 但し移転させた一地方の一地域にすべての施設を集めた場合、その地域のみの繁栄を約束するのみで他の地域の寂(さび)れは変わらないということなら、日本に於ける東京一極集中を単に地方の一地域に移して、地域一極集中をつくり上げることになる。

 このような地方に於ける地域一極集中を避けるために大学本部と全教室、全研究室等の主要な施設を中核施設として、以下の関連施設――学生寮や教授・助教授等の住宅施設、あるいはその他の施設を個別に分けて、中核施設に対して衛星都市的関係を持たせて中核都市を中心にして分散配置した上で、中核施設と関連施設を一定の交通網で連絡すると、経済圏を特定地域に集中させずに拡大・分散させることができるし、経済圏の拡大・分散に応じて、その経済効果も一極集中を排して拡大・分散させることができ、地方の広い範囲にまで経済的恩恵や活気を波及させることができる。

 そういった配置の中に保育園・幼稚園も必要になるし、小学校や中学校も必要になる。スーパーも出来れば、コンビニ、食堂もレストランもできることになるが、すべての施設を一地域に集中させた場合と衛星都市的関係で拡大・分散させた場合では、後者の方がスーパーやコンビニ、その他の商業施設は中核施設と関連施設とそれぞれに必要になり、数が多くなって、雇用もそれだけ増えるはずだ。

 もう一つのメリットは初めからの建設だから、学問や研究をし易い環境をつくり出すことができる。

 学びやすい環境で学問的成果・研究成果を上げることができれば、そこから新たな経済が生まれ、雇用が生まれる。

 こういった中核施設と中核施設に対する関連施設を衛星都市的に分散配置した文教都市は医療や化学、コンピュター等の各研究施設を集めた科学研究都市としての応用も可能であろう。

 この手の都市的施設を幾つか造れば、より広く日本全体を多くカバーでき、その分だけ地方活性化も可能となる。

 また東京大学の跡地は再開発が可能となるが、地方からヒト・モノ・カネを吸収し、一極集中を加速させる再開発ではなく、主として外国から観光客を呼び寄せるような、何か記念的な施設が望ましいように思える。

 莫大な財源が必要かもしれないが、実現させたなら、真の意味で確実に地方活性化に役立つはずだ。人の移動も伴い、地方の過疎化の歯止めともなる。

 こういった施設の移転や建設は特に過疎がひどい地方の地域を選択すべきだろう。

 少なくとも日本全体が経済的にも人の活動に於いても活気づく戦略性を持たせた公共事業ではなく、あっちに投資、こっちに投資と個別・部分的にやって、地方をも洩れなく含んだ全体への波及は力不足で終わるこれまでのバラ撒き公共事業とは違う姿を見せるはずだ。

 あっちに投資、こっちに投資のバラ撒き公共事業が従来の政策であることは2月18日の参議院予算委員会でも、当時まだ民主党を離党する前の植松恵美子が言及している。

 植松恵美子「(公共事業予算を)あれにもこれにもそれにも、少額ずつ予算をつけて、これといって変わり映えもせずに、結果として成長が見られなかったということ。何回も繰り返しているのを私は目の前で見て来ました」――

 事実そのとおりであったし、甘利経産相も2月3日のフジテレビ「親報道2001」で似たようなことを発言している。

 甘利「出来上がって効果を発揮する公共事業だってあるわけですよ。例えばハブ空港・ハブ港ね、大型コンテナ艦に対応できていないとかね。

 これは対応すれば競争力が上がってくるわけですね。それから物流で大事な道路なのに、えー、これ繋ぎ合わせれば、そのあと経済効果が出るわけですね」――

 公明党、国交相の大田昭宏も、ハブ空港・ハブ港を言っていた。公共事業正当化の葵の印籠として使っているのだろう。

 例え経済効果が出ても、日本全体を俯瞰して、どこの港、どこの空港、どこの高速道路をどうすれば、その経済効果が日本全体に跳ね返って、地方地方隈なく波及し、日本全体でどういった国の発展を望むことができるかといった全体的戦略性に則った説明ではなく、個別の事業を挙げては、その個別性に対応した個別の経済効果を言っているだけのことで、結局のところ、従来のあっちに投資、こっちに投資と変わらない戦略性の無さを示しているに過ぎない。

 死ぬまでに東京大学の地方移転を見てみたいものだが、まあ、実現しない夢で終わるに違いない。

 前原以上に言葉だけ勇ましい口先番長、単細胞の戦略性のカケラもない安倍晋三には無理な願いというものかもしれない。

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