昨日、2013年3月15日夕方6時から、安倍首相がTPP参加決定を、「なぜ私が参加するという判断をしたのか、そのことを国民の皆様に御説明をいたします」と冒頭言い、報告する記者会見を首相官邸で開いた。相変わらず自信に満ちた言葉遣いとなっているが、認識能力の程度も相変わらずのものを曝していた。
トップの認識能力は日本の交渉当事者に対策を指示する場合に於いても、会議が提供する情報の解釈に於いても、何らかの判断の決定に於いても、結果の良し悪しを左右し、当然、成果に影響していく。
勿論政治はチームプレーだから、周囲の認識能力がトップの認識能力を補うが、やはりトップの認識能力は陰に陽に政策に影響していくはずだから、問題としないわけにはいかない。
私自身はTPP参加に賛成である。特に農産物の聖域なき関税撤廃の面から積極的なTPP参加論者となっている。いわば低所得生活者の利害からの賛成である。
立場立場でそれそれが利害を異にする。低所得生活者の立場からのみ言うと、農産物の聖域なき関税撤廃が実現された場合、確実に現在以上に可処分所得が増えることになる。少額年金生活の中で安心して人生末期を過ごし、死に向かって踏み出すことができるというものである。
但し農産物の聖域なき関税の全面撤廃は、日本農業復活の政策が伴えばいいが、伴わなかった場合、これまでの経験則から言うとその確率の方が高いだろうから、そのことによって打撃を受ける農業に対する補助金を逆に増やすことになり、消費税等の税金となって跳ね返ってこない保証はない。
当然、農産物の関税をかなりの程度引き下げ、かつ日本の農業を復活させる政策に期待したいところだが、果たして安倍晋三にはその能力が期待できるだろうか。
自民党政治は日本の農業を保護するために輸入関税に高い壁を拵え、その上国の財源を補助金として多大に消費してきた。その分、製品価格の面で国民に負担を強いてきた。負担は消費税負担と同じで低所得生活者程逆進性を持つ。
戦後自民党が一貫して高い関税と多額の補助金で農業を保護して2009年の民主党政権交代までの60有余年で日本の農業が力をつけ、世界的に競争力を持つ産業に育成し、自給率が高まったというなら、我慢もできる。
ところが逆で、日本の農村は都市と比較しても進行した少子高齢化社会となり、キーワード化して久しい「限界集落」、「耕作放棄地」、「後継者不足」、「コメ離れ」、「若者の農村離れ」等々によって表現される農村と化した。
逆説するなら、戦後自民党政治が成果とした「少子高齢化」、「限界集落」、「耕作放棄地」、「後継者不足」、「コメ離れ」、「若者の農村離れ」等々のキーワード化だということである。
では、安倍晋三が記者会見で日本の農村と農産物の関税についてどう話しているか見てみる。
安倍晋三「最も大切な国益とは何か。日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化。その中から生まれた世界に誇る国民皆保険制度を基礎とした社会保障制度。これらの国柄を私は断固として守ります。
基幹的農業従事者の平均年齢は現在66歳です。20年間で10歳ほど上がりました。今の農業の姿は若い人たちの心を残念ながら惹き付けているとは言えません。耕作放棄地はこの20年間で約2倍に増えました。今や埼玉県全体とほぼ同じ規模です。このまま放置すれば、農村を守り、美しいふるさとを守ることはできません。これらはTPPに参加していない今でも既に目の前で起きている現実です。若者たちが将来に夢を持てるような強くて豊かな農業、農村を取り戻さなければなりません」――
何と言う素晴らしい認識能力だろうか。言っていることの矛盾に気づかない。日本農村に於ける基幹的農業従事者の平均年齢が20年前と比較して10歳程度上昇、66歳となっている少子高齢化を言い、若者の農村離れを言い、20年間で約2倍に増えた耕作放棄地を言い、そのように日本の農村の疲弊した危機的状況を自らの口で描き出しながら、「息を飲むほど美しい田園風景」だと言い切ることのできる感覚、認識能力は世界一ではないのか。
外見だけ美しくても、中身がボロボロなら、外見は単なるハコモノと化す。外見と中身が一致してこそ、ハコモノはハコモノであることから脱して、「美しい田園風景」が生きてくる。
既に触れたが、ボロボロの中身は戦後自民党一党独裁時代の無能政治がつくり出した成果である。日本の農村の危機的状況を一方で言いながら、農村風景を「息を飲むほど美しい田園風景」だと言い、「世界に誇るべき国柄」だと言っているのはボロボロの中身をつくり出した自民党政治に対する反省意識がないからに他ならない。
もし少しでも反省意識があったなら、「国柄」や「田園風景」よりも、自分たちがつくり出したのだから、中身のボロボロにこそより目を向けるはずだ。
だが、中身のボロボロよりも「国柄」を「世界に誇るべき」と言ったり、田園風景を「息を飲むほど美しい」と言ったり、外見により目を向け、必要以上に価値づけている。中身を誇ることができなければ、意味はないにも関わらず。
尤も国の中身の国民を問題とせずに国の形を重視する国家主義者らしい発言だとは言うことができる。
「若者たちが将来に夢を持てるような強くて豊かな農業、農村を取り戻さなければなりません」――
確かに言うとおりである。だが戦後自民党政治がダメにした日本の農業、日本の農村である。60有余年もかけてダメにするしか力がなかった自民党の政治力が、いくら口先で「自民党は変わった」と言おうが、一朝一夕に変身するとは思えない。
このことは日本の農村が「自助自立を基本」としていると言っているところにも現れている。補助金漬け、補助金頼みを植えつけた親方日の丸体質、各種規制による保護頼み体質の他力本願が逆に日本農業を衰退させてきたのであり、「自助自立を基本」は幻想でしかない。
ごく一部の農業従事者にしか当てはまらない「自助自立」であろう。
「世界に誇る国民皆保険制度」と誇っていることにしても最近は制度疲労が著しく、2010年度国民年金納付率は42.1%まで落ち込んでいるという記述もある。
保険料の支払いにしても財源不足で消費税増税や支給年齢の引き上げで賄わなければならないところにまで来ている。現在以上に制度の維持に四苦八苦するようでは、世界に誇っていた制度が中身の伴わないハコモノと化さない保証はない。
そのことへの危機感もなく、しかも国民会議で社会保障制度の設計がまだできていない時点で、「世界に誇る国民皆保険制度」と誇ることができる認識能力も素晴らしい。
かくまでも安倍晋三の認識能力にクエスチョンマークをつけざるを得ない。この程度の認識能力であるなら、日本農業を自立させ、復活させる政治も、TPP交渉で日本農業を自立的に維持可能とする範囲の農産物の関税率で決着させる交渉力も望めはしないだろう。
そう確信させる安倍晋三の認識能力であった。