野田毅自民は3/7衆院予算委で「主権回復の日」よりも戦争総括を優先すべきを意味不明な発言に終始していた

2013-03-08 11:56:22 | Weblog

 3月7日衆院予算委質疑。質問に立った野田毅自民党議員は日本が太平洋戦争敗北のツケ、非人道的戦争行為のツケとして支払わされた占領がサンフランシスコ平和条約によって終止符を打ち、主権が回復した1952年の4月8日を「主権回復の日」として政府主催の式典を開催してもらいたいと安倍国家主義者に要望、安倍国家主義者は国家主義者の主義主張からいって断るわけもなく、実施する方向で検討していると答弁。

 何を言っているんだ、「主権回復の日」よりも戦争総括が先ではないかと内心罵りながら質疑を聞いていると、ドイツの総括を持ち出したから、日本の戦争総括を求めるのかと思ったら、求めないまま、「主権回復の日」の政府主催式典だけを求める訳の分からない意味不明な展開で終わった。

 安倍首相も国家主義者らしく「総括」の「ソ」の字も口にしない。

 国家主義者というのは殆どがその思想の根拠を自国家優越主義に置いている。勿論、自国家優越主義は自国民族優越主義をイコールとして成り立つ。国民が優秀ではなく、国家だけが優秀というのは二律背反そのものとなる。

 下手に戦争総括をして日本国家=日本民族が優越的でも何でもない正体を曝した場合、根拠とする思想が崩れて、国家主義者としての自身の立脚点が崩れる恐れが生じる。

 そういったプロセスを認め難い忌避反応が日本の保守政治家が戦後一貫して戦争総括をスケジュール表に置かなかった理由に違いない。

 安倍晋三もその一人だということである。

 現在、日本国家優越主義=日本民族優越主義を証明する唯一の縁(よすが)が靖国神社であろう。安倍晋三は靖国神社に祀っている第2次世界大戦の日本軍兵士を「国のために命を捧げた英霊」と価値づけることで、日本軍兵士に代表させた日本人を優れた存在とすることができるだけではなく、その優越性は命を捧げた対象としての日本国家に反映可能となって、日本国家をも優越性を纏わせ可能となり、日本国家優越主義=日本民族優越主義が完成する。

 では、昨日(3月7日の衆院予算委野田毅と安倍晋三の「主権回復の日」に関係する質疑を見てみる。

 【衆院予算委】2013年3月7日野田毅対安倍晋三

 野田毅「主権回復記念日、昨年の総選挙の際、Jファイル、我が党の公約集の中に4月28日を主権回復の日として祝う式典を政府主催で開催します、と、こう明記してある。約束したことは必ず守る安倍内閣の基本方針でございます。

 そこで善は急げということもございます。是非、今年の4月28日はちょうど連休前でもございますし、日曜日でもございます。大分時間的には切迫していますものの、どうぞ、今年の4月におやり頂くことができますように、先ずは宜しくお願いを申し上げたいと思います。如何でしょうか」

 安倍晋三「1952年、4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効致しました。7年に亘る長い占領期間を終えて、我が国は主権を完全に回復を致しました。

 つまり独立を手に入れたわけでございます。既に60年を経ているわけですね。むしろ若い方々の中には我々はかつて主権を失っていた、7年という長い占領期間があったんだということも、知らない人立ちも増えているわけでございまして、そんな中で、ご存知のように憲法、あるいは教育基本法といっった、日本を形作るそうしたものも、その期間に出来たわけでございますが、この、いわば4月28日、60年前の4月28日に独立をした。

 このことを認識をする。そして新しい歩みがそこから始まったんだということを認識をする。いわば節目の日でもあるわけですが、この節目を記念し、我が国による国際社会の平和と繁栄の責任ある貢献の意義を確認すると共にこれまでの経験と教訓を生かし、我が未来を切り拓く決意を確固としたものとするために、本年の4月28日に政府主催の記念式典を実施する方向で検討しております。
 
 ちょうど連休に入るわけでございますが、実施するということになりましたなら、どうか奮(ふる)って、議員の皆様にもご参加を頂きたいと、このように思う次第であります」

 野田毅、最初に議席を戴いたのは沖縄返還の年だとか、私にしたらどうでもいいことを一くさりしてから。

 野田毅「この国の形を考える上で二つのポイントがある。一つは終戦記念日なんです。8月15日、これはある意味ではお盆のときと重なって、戦没者の慰霊、英霊を顕彰する。感謝をする。と同時に平和を祈る。

 大事なことでございますが、同時に残念ながら、ポツダム宣言の受諾をした日でもありまして、言うなら日本自らの主権を残念ながら行使できない形になることを受け入れた、ということであります。

 爾来占領が開始されまして、日本は国の形としては独立国ではなくなりました。

 そしてもう一つは、その主権を回復した日がおっしゃるとおり、昭和27年の4月28日でございました。ある意味では主権をなくした日、そして同時に主権を回復した日、ある意味では国の形としては、二つの不連続点がある。

 これをですね、セットにして、改めて日本人がそのことに思いを致して、そして外国から総括されるのではなく、日本人自らがこのことに思いを致して、なぜ主権を喪失するに至ったのか、あるいはその時代、占領下のあるときにはどういう政治が行われていたのか、そして、主権を回復して独立こということを取り戻した暁にはどういう心構えで日本の政治、国の形はあるべきなのかということを、改めて、しっかりと、自らの考えをお互いが右左を超えて、考えをもう一遍冷静にしていくことも大事なことではないのか。

 特にドイツは敗戦のときに統治機構が崩壊をしました、ですから、占領軍の直接統治形になりました。それが解除されたあとは、ドイツは全国民が総括をした上で、戦後の独立国としての歩みを、立ち位置を定めて今日に来ていると思いますけれども、日本はある意味では間接統治をやったものですから、多くの国民の中には占領下にあったということさえ、もう皮膚感覚になくなってきていて、それを削って、ある意味では自虐的な史観になってみたり、ある意味ではそれに対する、反動する思いもあって、国論がなかなか、そいういう形で総括する形に至っていない。

 だが、総括して戦争の実態とその責任を自らに引き受けなかった。健忘症が幸いして、忘れることになったのだろう。)

 そろそろもう60年以上経って、今ここでですね、そういったことに思いを致していくということが、結果として、私も長年、日中関係の仕事を致しておりますけれど、そのことが却って近隣諸国との冷静な、お互いの関係、アメリカを含めて日本のこれから先の展望を考えた場合に大事なことではないか。

 まあ、そんな思いを持って、今日まで参りました。今回ようやくその思いが、総理のお陰で前進しようという運びになっております。私は是非ですね、心を込めて、その方針を全面的にバックアップしたい。むしろお願いしたい。そういう思いでおります。

 このことを冒頭私から申し上げるところでございまして、総理、もしこのことについて感想があればなければいいんですが、あれば、どうぞお願いをします」

 安倍晋三「この主権回復の日につきましては、えー、野田議員は長年に亘ってずうっと、この問題、議連をつくって進められて来られましたとに改めて敬意を評したいと、こう思う次第でございます。

 これはまさに委員がご指摘されたように特定の思想、これ、立脚するものではなくて、いわば日本がかつて主権を失っていたという事実、そして、えー、1952年4月28日から新しい歩みが始まったんだという事実を捉えてですね、主権を失うということはどういうことなのだ、あるいはまた主権を回復して独立したということはどういうことなんだ、国際社会に復帰したということはどういうことなんだということを、もう一度思い直す日に、まさに日になるんだろうと、思います。

 そういう意味に於きましては、若い人たち、子どもたちにとっても極めて有意義な日になる日にしていきたいと、このように思います」

 野田毅「ありがとうございました」

 公共事業の話に移っていく。

 野田毅は狡猾にも、「ある意味では主権をなくした日、そして同時に主権を回復した日、ある意味では国の形としては、二つの不連続点がある」と言っている。国の形としては異なっていたとしても、原因と結果の連続線をなしていたのであり、連続線の意識のもと、占領という統治を経験していったはずだ。

 いわば原因に対して支払わなければならない結果として連続させていた。

 このことは反占領闘争が存在しなかったことが証明しているし、朝鮮戦争のさ中の1951年4月、日本占領連合国軍最高司令官のマッカーサーが解任されて帰国すべく東京国際空港へ向う沿道に20万人の日本人が詰め掛け、帰国を伝えるラジオ放送に多くの国民が涙したということだが、このことも証明する連続性であったはずだ。

 大多数の日本国民にとって戦前の軍国主義国家日本に対比させて、占領日本国家は歓迎すべき国家だった。

 問題は次の件(くだり)である。

 「外国から総括されるのではなく、日本人自らがこのことに思いを致して」と言い、ドイツが戦争総括の上に戦後の独立国家の歩みを開始したことを言い、そのようなドイツに反して日本では「総括する形に至っていない」と言っている。

 当然、次は戦争総括の必要性を結論とする文脈が続くことになる。

 「そろそろもう60年以上経って、今ここでですね、そういったことに思いを致していくということが、結果として、私も長年、日中関係の仕事を致しておりますけれど、そのことが却って近隣諸国との冷静な、お互いの関係、アメリカを含めて日本のこれから先の展望を考えた場合に大事なことではないか」――

 だが、この件(くだり)は戦争総括の必要性を再度訴えたもので、必要性の結論とはなっていない。結論は次の件(くだり)である。

 「まあ、そんな思い(この「思い」は戦争総括の思いでなければ前後の整合性を持ち得ない。)を持って、今日まで参りました。今回ようやくその思いが、総理のお陰で前進しようという運びになっております。私は是非ですね、心を込めて、その方針を全面的にバックアップしたい。むしろお願いしたい。そういう思いでおります」云々。

 直訳すると野田毅の戦争総括が必要だとする思いが「今回ようやく」「総理のお陰で前進しようという運びになっております」となる。

 だが、「総理のお陰で前進」は「主権回復の日」の開催を指すはずである。

 要するに野田毅の戦争総括の必要性の思いを安倍晋三が受け止めて、戦争総括を「前進しようという運びになっております」という文脈にならなければならないはずだが、国家主義者の安倍晋三が日本の国の負の歴史を暴いて、日本国家優越主義=日本民族優越主義のメッキを剥がすことになる戦争総括など受け止めるはずもないことだが、野田毅は「そういったことに思いを致していくということが」と言って戦争総括の必要性を前置きとしながら、「主権回復の日」が「総理のお陰で前進しようという運びになっております」を結論に持ってきて感謝する、言葉の起承転結を破った意味不明の矛盾を平気で展開したのである。

 結論が戦争総括の必要性と違えていることは安倍晋三の答弁を聞けば理解できる。「総括」という言葉を一言も使わず、愚かしい戦争を原因として国家運営を占領軍に依存することになった恥ずべき占領を結果とした因果関係、その連続性に触れもせずに、単に主権を失ったという事実、主権を回復して独立したという事実を内容を問わずに表面的・無機的に把えて、「主権回復の日」を有意義な日にしたいとのみ片付けている。

 このように戦争と占領を連続性として把えずに占領と主権回復、独立のみを言うのは、そこに日本国家の正当性を置いているからだろう。

 日本国家の正当性をそこに置くためには国家の無謬性を前提としなければならない。日本の戦前の戦争は侵略戦争ではなかった、民族自存自衛の戦争であったとする無謬性である。

 侵略という愚かしい戦争の結果だとしたなら、日本国家の正当性・日本国家優越主義を自ら剥がすことになる。

 国家主義者として当然の「主権回復の日」である。

 一度は戦争総括の必要性を言いながら、安倍晋三の答弁に対して満足したのだろう、野田毅は「ありがとうございました」と感謝で応えている。

 この安倍晋三と野田、それ以下が熱心な「主権回復の日」に沖縄から反発が出ていると、《首相肝いり「主権回復の日」に沖縄反発 「屈辱の日だ」》asahi.com/b>/2013年3月8日2時33分)が伝えている。


 〈「主権回復の日」として4月28日を祝う記念式典を開く意向を示した安倍晋三首相に、沖縄から反発の声が出ている。サンフランシスコ平和条約が発効した61年前のこの日、沖縄は日本から切り離され米統治下に置かれることが決まった。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれてきた。 〉――

 〈沖縄社会大衆党の委員長だった瑞慶覧(ずけらん)長方さん(80)は、1972年の本土復帰まで、4月28日になると復帰を求める集会や行進に加わってきた。沖縄は、本土が主権回復のために米国に差し出した「質草」だった、とみる。「いまも米軍基地は残ったまま。質草から脱していない沖縄を放っておいて式典とは、ばかにするにもほどがある」〉――

 国家主義者の安倍晋三にしたら、日本国家が優越国家であり、その無謬性こそが守るべき最重要なことで、個々の矛盾や被害は問題としないのだろう。

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