ヘイト・スピーチする日本人たちのそれに見るイジメの構造との同質性とその自己絶対化と他者支配願望

2015-01-19 09:48:24 | 政治


 2015年1月16日の当ブログ記事、《桑田佳祐、右翼に屈したのかライブパフォーマンス謝罪 なぜ安倍晋三は擁護に動かない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次の投稿を頂いた。ヘイトスピーチと関連があるためにここに取り上げてみる。

〈コメント 日本人  2015-01-16 15:05:21

ここは、たしかに「反国家主義者」たちの集まるところだ。

反国家なら、国家の庇護も、国家が与える自由も、平等も

脱いでからほえろ!!!

安全地帯から、バカいうな。小学生。〉

 誤った考えで自分を正しいとする自己絶対化を前提として自分の主張を押し通そうとしているという点でヘイトスピーチと同じ構造を取っている。

 自由も、平等といった基本的人権は国家が与えるものではなく、国家から与えられるものでもない。戦前の天皇が国民に恩賜という体裁で与えたタバコといった類と同列に置いている。

 基本的人権とは人間が生れながらにして持っている基本的な権利とされているもので、その点に於いて普遍性を持ち、その普遍性は日本の場合、日本国憲法が保障し、国家権力はそれに制限を加えてはならない制約を憲法によって国民に負う、逆の関係を結んでいることの気づいていない。

 また「反国家主義」は「反国家」を意味しない。日本国という国に反対しているわけではない。国家主義の本来の意味は「国家をすべてに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(「大辞林」)を言うが、現代は個人の権利・自由を最大限に尊重しなければならないとされているために、そのタテマエを取りつつ、国民の利益よりも国家の利益を最優先させて、国民を国家の利益に奉仕する存在とすることでその装いを存続させている国家主義そのものに反対しているに過ぎない。

 「安全地帯から、バカいうな」と言っているが、少なくとも本名を名乗り、自分の顔写真を載せている分、「安全地帯」から十分に顔は出している。

 右翼に威されても何も失うことはない境遇にいるという意味で「安全地帯」という言葉を使っているなら、自分の力ではどうしようもない境遇としか言い様がないが、だとしても境遇を利用しているわけではななく、表現したいという欲求からの文章に過ぎない。

 「日本人」氏は国家が自由や平等を与えるとすることによって、国家を絶対的存在としている。そのような国家を信じ、自ら国家の意思を代弁することによって無意識下に自己をも絶対化させている。麻原彰晃を絶対的存在だと信じた信者がその絶対性を自身に憑依させて(乗り移らせて)自己をも絶対化させるように。

 国家はその時々の国家権力によってときには過ちを犯す。また、同じ一つの国家権力であっても、その統治期間に於いてときには政策の過ちを犯す。常に絶対ではない。

 2015年1月13日、NHKテレビで、《クローズアップ現代 ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が~》を放送していた。

 ハンドマイクを使った憎悪を込めた威嚇的な言葉とシュプレヒコール、そして威嚇的な集団的装いを用いた在日韓国・朝鮮人に対しての排斥運動を取り上げている。

 どんな威嚇的な言葉が用いられているか、纏めて引用してみる。 

 「韓国人は出て行け」
 
 「朝鮮人は全員死にさらせ。

 首をつれ。

 焼身自殺しろ」

 「いつまでも調子に乗っとったら、鶴橋大虐殺を実行しますよ」


 「鶴橋」とは大阪市の生野区の中心にあるコリアタウンだそうだ。

 「おまえら朝鮮人は腐れ朝鮮人なんだよ、腐れ朝鮮人。

 ゴキブリ、うじ虫、朝鮮人」

 「殺せ、殺せ、朝鮮人。出てけ、出てけ、朝鮮人」

 「なにが子どもじゃ。

 スパイの子どもやないか」


 子供にまで攻撃を加えている。ここに何よりも自己を正しいとする自己絶対化を見て取ることができる。

 自己絶対化は自身を優れているとする優越感と相手を蔑む劣等視を構造とする。

 ヘイト・スピーチする日本人たちは自分たちを日本人として優越的位置に置き、在日韓国・朝鮮人たちを劣等的位置に置いて、優越感を持って蔑視の感情で彼らを罵り、攻撃する人種差別の側面をも備えているということである。

 もし少しでも対等意識があったなら、「殺せ」とか、「出てけ」、「ゴキブリ、うじ虫」と罵り、日本から排斥しようとすることはできないだろう。

 優劣の意識が強ければ強い程、言い替えると、人種差別の意識が強ければ強い程、そのことに比例して罵り言葉は苛烈となり、攻撃は激しくなる。

 殺人にしても、それが計画的殺人であろうと衝動的殺人であろうと、自己絶対化を前提として実行される。自分にも過ちがあるという自省、もしくは後悔の意識(=対等意識)が少しでもあったなら、普通の人間である以上、自己を絶対化に持っていくことはなく、怒りを殺人で報いるということはしないはずだ。

 また衝動的殺人事件であったとしても、怒りに任せるあまりなどして、「このヤロー、殺してやろう」と殺意を抱く瞬間、自己を正しいとする絶対化を前提としていなければ、相手の生命を代償とすることはあるまい。

 当然、ヘイト・スピーチする日本人たちは子供に対するとき、大人という存在が子供に対して年齢的経験差からの倫理的優越感を持っている感情も手伝って、自身をより強い自己絶対化に誘い込んでいるはずで、それは「スパイの子どもやないか」と、罪のない子どもにスパイと同じ罪をかぶせている手加減のなさに現れている。

 幼い子どもを虐待で死なせてしまうのは暴力を振るう大人が自分は正しいとする自己絶対化に取り憑かれているからに他ならない。

 上記記事はヘイト・スピーチする日本人たちの排斥の根拠を国がその特権を否定しているものの、在日韓国・朝鮮人が生活保護の受給などの面で日本人にはない特権を与えられていることに置いていると解説している。

 だとしたら、攻撃の対象は時の政府でなければならない。勿論、その攻撃は正当な民主的方法を用いたものでなければならない。

 そうはなっていないのだし、憎悪をぶっつけて日本からの排斥を狙っている以上、人種差別意識なくし不可能なヘイト・スピーチする日本人たちの攻撃であろう。

 また日本から在日韓国・朝鮮人を一人残さずに排斥したいという願望には在日韓国・朝鮮人に対する支配願望がある。彼らに対する生かすも殺すも、追い出すも自由という完全な支配がそれを可能とするからである。

 記事はヘイト・スピーチする日本人の次の言葉を伝えている。

 「相手の喉元に突撃する。

 ストレートに相手の嫌がる抗議をする。

 既存の保守ではできなかったことを、この団体がしてるということにすごい魅力を感じました」


 自己絶対化からの優越感を露わにしている。

 フリーライターの加藤直樹氏の発言を伝えている。

 「『良い朝鮮人も悪い朝鮮人もどちらも殺せ』

 彼らは差別しているだけじゃなくて、『殺せ』って言っているわけですよね」


 「良い朝鮮人も悪い朝鮮人もどちらも殺せ」は最たる人種差別意識の現れであって、ヘイトスピーチを通したこのような人種差別行動を社会的な自己活躍とし、そこに優越感を置いている。

 いわばヘイト・スピーチする日本人たちはヘイトスピーチによって社会的に自己が存在している意義を表現し、世間に知らしめているということであって、そのことを自分たちの社会的存在としているということを意味する。

 イジメは言葉や暴力を使った身体的・心理的な攻撃で以って相手を身体的・心理的に支配することを言う。この他者支配によって、自己の絶対化を成り立たせ、相手を劣等的位置に置く優劣の上下関係を構築できることになる。

 また言葉や暴力を使った身体的・心理的な攻撃自体がイジメる者にとっての学校社会に於ける自己活躍であり、そのような自己活躍の手段によって学校社会に於いて社会的存在足り得ている。

 イジメて一人の生徒、あるいは複数の生徒を身体的にも心理的にも自由に支配すること程、誇らしいことはないだろうし、そのような人間にとって自分を強くて優れていると思わせる他の手段はないだろうし、だからやめることができず、ときにはイジメられる側がそのような支配がいつまでも続くことに耐えられなくなって死を選ぶことにもなる。

 ヘイト・スピーチする日本人たちのヘイトスピーチは在日韓国・朝鮮人を支配したいと願望しているものの、その支配が完成していないという点を除けば、イジメと何ら構造は変わりはない。その卑劣さに気づいていないという点でも、イジメとそっくりである。

コメント (4)
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