天皇の年頭感想「戦争の歴史に学ぶべき」は安倍式歴史の学び、その歴史認識の否定に他ならない

2015-01-04 08:34:38 | Weblog


 平成天皇が宮内庁を通じて年頭に当たっての感想を発表した。当然のことだが、今年が敗戦から70年に当たることに触れている。敗戦は日本という国にとって民主化に向かう節目――重要なターニングポイントであった。

 敗戦なくして日本の民主化はあり得なかったかもしれない。このことの証明は戦後の幣原内閣の日本国憲法改正案に於ける天皇の地位が大日本帝国憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」から「天皇は至尊にして侵すべからず」へと、天皇の絶対性を内容とした戦前国体護持の類似性にとどめようとしていたことに現れている。

 いわば敗戦を経ても、戦後の日本の指導者たちが日本という国家に持つ国体護持(天皇を中心に置いた国家秩序の維持)の体質は変わらなかった。

 当然、敗戦というプロセスを欠いていたなら、国体護持の思想は以後も頑固に生き続けて天皇独裁制を強固に固守することになって、外国の民主化要求に反発、北朝鮮化していた可能性は否定できない。 

 だが、GHQが敗戦を契機とした日本に対して戦前同様の国体護持を許さなかった。GHQが日本政府の自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、日本人有識者構成による「憲法研究会」の民主的な憲法案を参考にして草案作成を経て日本国憲法成立の経緯を取ったことは多くの国民が知るところである。

 但し安倍晋三はこのGHQによる占領政策を日本の戦後の歴史として否定している。2012年4月28日、自民党が独自に決め、独自に主催した「主権回復の日」に一党員としてメッセージを寄せている。当時自民党総裁は谷垣禎一であった。

 安倍晋三「本来であれば、(2012年の)この日を以って日本は独立を回復したわけでありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証して、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした」――

 占領軍が日本を改造し日本人の精神を改造したと言って、占領時代と占領軍の政策を否定している。

 このことは日本の戦後史の否定であり、と同時に日本国憲法の否定であって、当然、戦前日本国家の肯定となる。安倍晋三の日本国憲法改正の意思はこれらの地点をスタートラインとしている。

 そして安倍晋三は戦前日本国家肯定の儀式を靖国参拝を通して行っている。第2次安倍政権発足1年2013年12月26日の靖国参拝時の発言。

 安倍晋三「本日靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そしてみ霊安らかなれと手を合わせて参りました。

 そして同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをして参りました。鎮霊社には靖国神社に祀られていない、すべての戦場に斃れた人々、日本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて全ての戦場で斃れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りを致しました。全ての戦争に於いて命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いを致しました」――

 前段は安倍晋三やその一派の靖国参拝時の決まり文句となっているが、「日本のために尊い命を犠牲にされた」と愛国心の面から把えているが、戦死者が尊い命を愛国心から戦死という形で捧げた対象としての国家を肯定していることによって、この論理は成り立つ。ヤクザが親分のために戦って死んだ場合、親分のために尊い命を捧げたとすることができるのはヤクザの世界や組織を肯定している者のみであって、否定している者はこの論理に立つことはできない。

 戦前日本国家を否定している者は戦前の日本の国家権力によって尊い命を犠牲にさせられたと歴史認識するはずだ。

 安倍晋三が戦前日本国家を肯定している以上、「不戦の誓い」はマヤカシに過ぎない。「不戦の誓い」は過去の日本の戦争を歴史の過ちと位置づけてこそ、論理矛盾もなく整合性を得た誓いとすることができるからだ。

 だが、安倍晋三は歴史の過ちとは位置づけていない。周知の一例を国会答弁から取り出してみる。

 安倍晋三「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」――

 安倍晋三が戦前の日本戦争を侵略戦争ではないと否定している以上、いわば戦前の戦争を肯定している以上、「不戦の誓い」は口を突い出て来ようがない。にも関わらず口にするということは靖国参拝を正当化するための方便に過ぎないからだろう。

 ブログに適宜書いてきたが、要するに安倍晋三とその一派にとっての靖国参拝とは神社の空間で戦死者を国策に殉じて国家のために尊い命を捧げたと顕彰することを通して戦前の大日本帝国を肯定し、そこに国家の理想を見、大日本帝国を体感する儀式に他ならない。

 今の安倍政権がこういった歴史の雰囲気を抱えている中での平成天皇の敗戦から70年に当たることに触れた年頭の感想である。

 《天皇陛下のご感想(新年に当たり)》宮内庁/平成27年1月1日)一部分抜粋。文飾は当方。
 
 平成天皇「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
 また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

 この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります」(以上)

 日本国憲法は天皇の権能を次のように規定している。 

 第4条 天皇の機能
 (1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ国政に関する権能を有しない。

 天皇は「国政に関する権能を有しない」にも関わらず、「この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」は極めて政治的な発言である。なぜなら、この手の歴史認識は敏感な政治的な問題とされているからである。にも関わらず、日本国民は「戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えよ」と歴史問題に触れた。

 もしこれが安倍晋三式の歴史の学びのススメなら、戦前の大日本帝国国家とその戦争を肯定していることになる。安倍晋三同様に戦後の米軍占領時代とその政策を否定していることになる。当然、日本国憲法も否定していることになるし、安倍晋三と同様に戦前の国体護持思想を戦後もなお天皇の血としていることになり、安倍晋三と同様の国家主義に立っていることになる。

 さらに言うなら、安倍晋三と同様に「河野談話」も「村山談話」も否定していることになる。

 もしこれが安倍晋三式の歴史の学びのススメなら、「戦争の歴史」に向き合うべく、日本国民それぞれの主体性及び自律性を期待することはあるまい。

 主体性及び自律性への期待とはそれぞれが自分で考えよということの期待であって、他者の考え、その歴史認識に従う従属性への期待ではない。

 だが、現在の日本で力を得ている歴史認識は政権を握っている有利性を生かして声高の効果を持たせることができている安倍晋三の歴史認識である。

 当然、天皇のこの前者後者の期待には安倍晋三式の歴史認識とは一歩距離を置くべきとする意思が既に込められていることになる。

 もし天皇が安倍晋三の歴史認識に同調する意思があったなら、戦争の歴史に関して黙して語らずの姿勢を取っただろう。社会の雰囲気の右傾化と相互関連し合って主流化しているかに見える安倍式の歴史認識への従属性を期待していれば、自分の望み通りの歴史認識に進むはずだからである。

 日本国民それぞれの主体性及び自律性への期待は「今後の日本のあり方を考えよ」とする言葉にも現れている。

 この言葉は安倍晋三が目指している戦後70年の談話を暗に指して、そう言った言葉であるはずである。安倍晋三が予定している戦後70年談話を念頭に置いて、他者の考え、その歴史認識に従う従属性を排して、「戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えよ」と、過去の日本の姿に立って未来の日本の姿を考えて欲しいと、日本国民それぞれの主体性及び自律性を期待した。
 
 天皇は国政に関する権能を有しないにも関わらず安倍式歴史の学び、その歴史認識に危険な臭いを嗅ぎ取って、国民がその危険に考えがないまま従属一方で染まらぬよう、安倍晋三が目指している戦後70年談話に合わせて、敢えて政治的な問題となっている「戦争の歴史」に触れ、安倍式歴史認識とは逆の方向に国民を導こうとしたのである。

コメント (4)
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