安倍晋三が目指す「戦後70年安倍談話」の「先の大戦への反省」の正体によって決まる全体の正体

2015-01-06 09:01:34 | 政治


 昨日の当ブログ記事のトップページの画面が不具合を起こして、見づらいご迷惑をおかけしました。ご迷惑をお掛けした読者には謝罪します。すみませんでした。 

 このブログ記事は既に似たテーマで何度かエントリーしているが、安倍晋三の歴史認識に関係するゆえに、その内閣が継続している間は微力ながらその正体を広く知らしめ、その歴史認識を止めたい思いを込めて、改めて取り上げることにした。

 安倍晋三が1月5日(2015年)、伊勢神宮を参拝、高市や甘利、岸田等11人の閣僚を引き連れて大名参拝し、同日午後、現地で年頭記者会見を開いた。そこで記者の質問に答えて、戦後70年に当たる今年、戦後の各節目に出してきた歴代内閣の例に倣って、戦後70年談話を出す意向を伝えた。

 《平成27年1月5日安倍首相年頭記者会見》首相官邸/2014年1月5日)    

 小田中記者「毎日新聞の小田中です。よろしくお願いします。

 アジア外交についてお伺いします。

 戦後70年の今年、総理は未来志向の談話を出す意向を示してこられましたが、植民地支配と侵略に関する村山談話をどう継承するか、中国、韓国、両国からも注目されています。新たな談話で村山談話の表現を踏襲するなど、継続性を示すのか。また、有識者の意見を聞くなど、今後のスケジュール感について、どのようにお考えでしょうか。よろしくお願いします」

 安倍晋三「従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いでまいります。

 戦後70年の間に、日本は自由で、そして民主的で、人権を守り、法の支配を尊重する国を創り、平和国家としての歩みを進め、そしてアジア太平洋地域や世界の平和・発展・民主化などに大きな貢献をしてまいりました。

 戦後70年の節目を迎えるに当たりまして、安倍政権として、先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります」(以上)

 さすが積極的平和主義外交を進めているだけあって、素晴らしいことを言う。

 談話の構成は「先の大戦への反省」、そして「戦後の平和国家としての歩み」、最後に「未来に向けて世界に貢献していく平和国家としての日本の将来像」と言うことになるらしい。

 出発点は「先の大戦への反省」である。先の大戦にどう向き合い、どのような思いを心に刻んだ反省であり、総合としての歴史認識なのか、その内容次第で、日本の将来像に向けた言葉がその歴史認識と矛盾しない誠実な言及なのかどうかが分かれることになる。

 なぜなら、人間、本心を隠していくらでも言葉を美しく飾り立てることができ、飾り立てた言葉を以って本心だと偽ることができるからだ。

 では、どういった反省なのか、安倍晋三は「安倍内閣としては」という条件付きで、「村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます」と言っている。

 ここで二つの問題点を指摘することができる。

 先ず一つは「安倍内閣としては」引き継いでいても、安倍晋三自身は果たして引き継いでいるのかという問題である。

 談話は安倍内閣として閣議決定して発表するという段取りを踏むが、内閣のトップである安倍晋三が主体となった談話であり、「安倍」の名前を冠する以上、安倍晋三個人として「村山談話」の反省をどう引き継いでいるのか、その歴史認識次第で、内閣としての「反省」に言葉ではそれらしく見せた偽りを忍び込ませた談話となる危険性は排除できない。

 もう一つは安倍晋三自身の先の大戦に対する歴史認識である。「先の大戦への反省」はその歴史認識に対応して、談話の肝心の出発点となるからなのは断るまでもない。

 先ず「村山談話」について安倍内閣として「全体として引き継いでいる」と言っている。と言うことは、個々の点では受け継いでいない点もあることを意味することになる。

 ではどの点を受け継いでいて、どの点を受け継いでいないか、見てみることにする。文飾は当方。

 2013年2月1日の「第183回国会参議院本会議」での福島みずほ当時社民党代表の質問に対する国会答弁。

 安倍晋三「村山談話及び河野談話についてのお尋ねがありました。

 いわゆる村山談話は戦後五十年を機に出されたものであり、また、戦後六十年に当たっては、当時の小泉内閣が談話を出しています。

 我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります。その上において、しかるべき時期に二十一世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については、今後十分に考えていきたいと考えております」――

 「村山談話」から安倍晋三が発言している個所を見てみる。

 「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)外務省/1995年8月15日)  

 「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」(以上関係個所抜粋)

 文飾を施した文字面が安倍晋三と「村山談話」双方の歴史認識が一致する個所であり、一致する個所の歴史認識を引き継ぐということになる。

 具体的には安倍晋三は「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とする歴史認識は引き継ぐが、損害と苦痛を与えた原因を「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略」によるとする歴史認識は引き継がないということである。

 「村山談話」を一部分省略した答弁になったという言い訳は通用しない。1月4日のブログにも書いたが、日本の侵略について次のように発言、侵略に関わる歴史認識を明らかにしているからである。

 安倍晋三「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」――

 要するに侵略の定義は決まっていないし、国と国との関係で侵略になったり侵略にならなかったりするという安倍晋三自らの侵略に関わる定義づけを通して、定義は決まっていないと言いながらl自分では定義付けする矛盾には気づかずに、そうである以上、日本の戦前の戦争を侵略と定義づけるのは歴史の過ちであると主張している。

 安倍晋三は日本の戦争を侵略戦争とする立場には立っていないということを示す。「村山談話」を一部分省略したわけでも何でもない。意識的に避けたのである。「村山談話」が認めている「植民地支配と侵略」という戦前の日本の戦争の性格に触れたなら、安倍晋三自身もそのことを認める歴史認識に立つことになるからなのは言を俟たない。
 
 このことの補強証拠に2013年4月22日の第183回国会参議院予算委員会の国会答弁を挙げることができる。

 安倍晋三「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません」

 継承している歴史認識と継承していない歴史認識があり、それが上記の「村山談話」が認めている歴史認識のうち、取り上げた個所と取り上げない個所が出た原因であり、答弁の時系列は逆になっているが、相互対応し合った歴史認識だということである。

 これが安倍晋三が言う「全体として受け継いでいる」の正体である。

 当然、安倍晋三個人の歴史認識、そしてその正体が強く反映した「全体」であり、その正体であるのは断るまでもない。

 要するに「安倍前後70年談話」は日本の戦前の戦争を誤った「国策」であり、「侵略戦争」であるとは認めない歴史認識に立って、「戦後の平和国家としての歩み」を俯瞰し、その上に「未来に向けて世界に貢献していく平和国家としての日本の将来像」を展望する内容となることになる。

 このような構成の談話を要約すると、日本の戦争を植民地支配とも侵略戦争とも認めない反省に立った平和志向ということになる。

 ここに矛盾や倒錯を認めない者がどれ程存在するだろうか。

 認めないで済ます程に無神経でいられる者がどれ程いるだろうか。

 勿論、戦前日本国家を肯定し、その国体を戦後に引き継ごうと策謀している安倍晋三とその一派は自分たちの歴史認識こそが正義だと信じている。矛盾も倒錯もなく、無神経とも思わずに。

 確実に言うことができることは「戦後70年安倍談話」が閣議決定されるや、歴史認識に関わる彼らの正義が公的な姿を取って世に流布するということである。

 例え世に流布したとしても、我々は歴史認識に無神経な存在とならないためにも、安倍晋三の談話の正体に常に敏感な身構えを心がけて、一人でも多くが口にし、その矛盾と倒錯を発信していかなければならない。

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