1月20日(2015年)、「イスラム国」と見られる集団によって2人の日本人が人質となった動画がネット上に公開されたと夕方のNHKテレビが伝えていた。ちょうど大相撲中継をしていたところで、中継はEテレに移されていた。
2人は中東地域に入っていた湯川遥菜さんと後藤健二さんらしいという。
ローブ形式と言うのか、一枚物のオレンジ色の囚人服らしきものを着せられて後ろ手に縛られた様子の日本人が膝をついて佇んでいる2人の間に目だけ覗かせた全身黒尽くめのテロリストの男が手にナイフを持って立ち尽くして英語で喋っている動画を流した。
《「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求》(NHK NEWS WEB/2015年1月20日 15時58分)
「日本の総理大臣へ。
日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した。
だから、この日本人の男の解放には1億ドルかかる。それから、日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。よって、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる。
日本国民へ。日本政府はイスラム国に対抗するために愚かな決断をした。2人の命を救うため、政府に2億ドルを払う賢い決断をさせるために圧力をかける時間はあと72時間だ。さもなければ、このナイフが悪夢になる」
シリア管轄駐ヨルダン日本大使館「動画が配信されたことは承知している。邦人とみられる2人の殺害が予告されているが、その真偽については、現在、確認中だ。仮にこれが事実であれば、人命を盾にとって脅迫するのは許し難く、強い憤りを覚える。日本国政府としては、関係各国とも協力しつつ、早期解放に向けて、最大限の努力を尽くす所存だ」
テロリストが日本が「イスラム国に対する十字軍に進んで参加した」と言っていることは、安倍晋三が1月17日にエジプトで行った政策スピーチでの発言を指しているはずだ。
この政策スピーチで安倍晋三は「中東地域を取り巻く過激主義の伸張や秩序の動揺に対する危機感」を強く持っていることを訴えて、次のように話している。
安倍晋三「中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」
テロ勢力の拡大阻止とその根絶を宣言した。「イスラム国」はこの宣言を以って「イスラム国」に対する宣戦布告と見做したということなのだろう。
言ってみれば、安倍晋三自身が「イスラム国」やアルカイダ、タリバン、ボコ・ハラム等のテロ集団を向こうに回してその根絶を宣言することを通して宣戦布告をしたのである。
そこまで意識して発言したわけではないという言い訳は許されない。一国のリーダーの発言は外国との関係に様々に影響を与える。その影響を前以て予測して発言する危機管理が国のリーダーの資質の重要な一つとしなければならないからだ。
テロリストが日本が「我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した」と言い、「日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した」と言って、人質一人当たりの身代金として1億ドルずつ請求、合わせて2億ドルを要求したのは、安倍晋三の政策スピーチでの次の発言に対応させたものであるのは誰もが分かるはずだ。
安倍晋三「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」
安倍晋三はここでは「イスラム国」を名指しして宣戦布告をしたことになる。政策スピーチで過激派テロ集団からしたら薬にもしない「中庸が最善」などと言っていた奇麗事の楽観主義が却ってイスラム国を「中庸が最善」から程遠い形で刺激してしまった。
今後安倍晋三のテロに関わる一言一言によってはテロ集団が日本人をテロの攻撃対象とする危険性に備えなければならない。
安倍晋三は日本人拘束身代金請求事件を受けて訪問先のイスラエルで記者会見を開いている。
《安倍晋三内外記者会見》(首相官邸/2015年1月20日)
安倍晋三「まず始めに、ISILにより、邦人の殺害予告に関する動画が配信されました。
このように、人命を盾に取って脅迫することは、許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚えます。2人の日本人に危害を加えないよう、そして、直ちに解放するよう、強く要求します。政府全体として、人命尊重の観点から、対応に万全を期すよう指示したところです」
「許し難いテロ行為」だと一方で非難し、その一方で「人命尊重」の立場からの対応をすることを表明している。
だが、以下の発言はテロ集団とは交渉せずの宣言であり、イスラム社会を支援して共にテロ集団と戦うことの宣言となるはずである。
安倍晋三「卑劣なテロは、いかなる理由でも許されない。断固として非難します。そして日本は、国際社会と手を携えてまいります。
国際社会への重大な脅威となっている過激主義に対し、イスラム社会は、テロとの闘いを続けています」――
このことは菅官房長官の20日午後記者会見発言と安倍晋三の日本時間1月20日深夜(現地時間1月20日午後)のヨルダンのアブドラ国王との電話会談の発言が証明する。
菅官房長官「テロに屈することなく、国際社会とともにテロとの戦いに貢献していく」(AFP)
安倍晋三「イスラム国は残虐な本質を露呈した。日本はテロに屈することなく国際社会によるテロとの戦いに貢献していく」(産経ニュース)――
「日本はテロに屈しない」という言葉程の強力な宣戦布告はない。宣戦布告となって「イスラム国」に届いたはずだ。
日本がテロに屈しなかった前例がある。
2004年10月に発生したイラクの聖戦アルカーイダ組織を名乗るグループによる当時24歳の香田証生(こうだ・しょうせい)さん拘束・殺害事件である。テログループは日本政府に対して48時間以内の自衛隊のイラクからの撤退を要求、応じない場合は殺害の報復を表明した。
当時の首相小泉純一郎は「テロリストとは交渉しない」との立場から自衛隊撤退を拒否。テロリストたちは表明通りの報復を以って応じた。
2004年10月31日。
小泉純一郎「解放のためあらゆる努力を尽くしたにもかかわらず、青年がテロの犠牲となり、痛恨の極みだ。引き続き自衛隊による人道復興支援を行う」――
厳密には自衛隊撤退を除いて「解放のためあらゆる努力を尽くした」と発言しなければならない。だが、相手が目的としたことと日本が解放のために目的としたことが一致しなかった。
安倍晋三には小泉純一郎を習い、それを超えることを自らの使命としているところがある。「日本はテロに屈しない」と宣戦布告している以上、「政府全体として、人命尊重の観点から、対応に万全を期す」姿勢を示したとしても、小泉純一郎の前例に倣って、「テロリストとは交渉しない」ことが、あるいは「テロに屈しない」ことが導き出す可能性の高い答を前提として「人命尊重」を訴える解放交渉となる確率は高い。
但し、「テロリストとは交渉しない」にしても、「日本はテロに屈しない」にしても、テロ集団に対するそのような宣戦布告がタテマエという場合もある。あるいは「イスラム国」と直接交渉はしなくても、関係国との間接交渉の過程でタテマエ化することある。
これまで「イスラム国」に拘束された外国人ジャーナリストの何人かが長い拘束期間の末に解放されている。いずれの解放例も身代金を払ったかどうか明かしていないそうだし、噂としては支払ったと囁かれているということだが、救命(=人命尊重)を前提に内々に身代金を支払うという手もあるが、「イスラム国」は既に身代金を要求している。しかも表立って政府に身代金を要求するのは初めの例だそうだ。
否応もなしに解放は身代金の支払いと結びつけられることになる。例え身代金を支払わない解放であったとしても、支払った解放として把えられることになる。いくら安倍晋三が否定したとしても、内閣の誰かが口を合わせたとしても、信用されないだろう。
人命尊重の解放が歓迎される一方で、安倍晋三の「日本はテロに屈しない」の宣戦布告が口先だけだったと見做されて、テロ集団を相手にした戦闘をも想定しているだろう集団的自衛権行使容認強硬派からは男を下げた扱いを受けることは間違いない。
安倍晋三にとって、どちらが耐えることができ、どちらが耐えることができないかである。多分、耐えることができないのは後者であるはずだ。
安倍晋三が例え意識しなかったとしても、政策スピーチでテロ勢力の拡大阻止とその根絶を宣戦布告し、更に直接的な言葉で「日本はテロに屈しない」と宣戦布告の追い打ちをしたことで、日本人男性2人の救出を複雑且つ微妙な状況に追いやったばかりか、自身に対する評価をも微妙な場所に置くことになったのである。
もし安倍晋三が「日本はテロに屈しない」の宣戦布告を最後まで守り通して2人を宣戦布告の生贄とする形で犠牲としたなら、2013年1月16日にイスラム過激派集団がアルジェリアの天然ガス関連施設を襲撃、日本人を交えて多くの国籍の人質を取って立て篭もってアルジェリア政府に逮捕されたイスラム過激派メンバーの釈放等を要求、アルジェリア政府はテロリストと交渉せずの姿勢を貫き、アルジェリア軍が制圧の攻撃を仕掛けて日本人人質10人を含む40人前後の犠牲者を出したが、安倍晋三が当時盛んに言い立てていた「人命尊重」は国民向けの「人命尊重」であって、アルジェリア政府の「テロリストとは交渉しない」ことが導き出す可能性の高い答を前提とした、自身としては限りなく期待していない「人命尊重」だったことになる。
そして今回も同じ経緯を取ることも十分にあり得る。
まあ、安倍晋三ことである。